Treasure
頂きもの展示室
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 10    まどろみ 窓辺  (アチスイ小説・SBSさまより)
更新日時:
2010.04.26 Mon.
 
 ひと夜の酒宴に行きゆきて果て、鈍痛の中、朝日を迎える。
 
 さやさや、さやさや、風乙女のうたを受け、窓の外で若葉が囀る。
目に見えぬさやかな衣擦れの音は、騒々しい靴音に混じり、溶け込み、やがて街の至るところへ朝を運んでゆく。焼きたての麺麭を竈から取り出す職人に、馬車を駆るねむらぬ御者に、裏路地に空を仰ぐ幼き子に。あらゆる人、あらゆる場所にあたたかな息吹を注ぐそれは、何ものにも分け隔てなどすることはない。
 例え、それが鯨飲の果てに酔いつぶれた、にわか富豪の酔っ払い二人であっても。
 
「…だから。わたしは、あの時やめようと、言ったんだ」
 薄汚れた卓に頭を預け、小さな声で呟いた。
 日の出から、少しばかり回った頃だろうか。薄暗がりに慣れた眼を、窓辺から射す光が否応なく襲う。ぎこちなく働かせる五感には見慣れた天井、嗅ぎ慣れた安酒の匂い、何度も何度も突っ伏した、ささくれの激しい木の机。いつもの光景。早朝でなく、無人でなく、ついでに己が前後不覚でもなければ、寄せられた依頼のひとつにも目を通せただろうに。
 同じく隣に座し、机に伏す大柄な影が、む、と唸り声のような相槌を打つ。平時は良く言えば精悍な、悪く言えば厳つい造りをしたその男は、いわゆる仕事仲間という間柄だ。機嫌が良ければ数少ない人間の友人、と認めてやらないこともないが、現時点ではそんな社交辞令を口にする気にもならない。何しろ、今ここで二人揃って突っ伏しているのも、元はといえばこの男に飲みに誘われたせいなのだから。
「…お前だって、途中まで乗り気だっただろうが」
「途中までだ」
 もごもごと呂律の回らない口から吐き出された言葉は、あからさまに酔いの痕を残している。自分よりも多少酒に強いとは言え、本来暴飲に耐え得る身体ではないのだ、この頭でっかちは。
「『お金はあるうちに消費するのがいい』、とか、この間言っただろう…」
「…程度による」
 とりあえず、二人とも生きて朝を迎えただけ儲けものかもしれない。昨夜の惨状を思い返しつつ、こみ上げる吐き気に、投げ出した腕を口元に寄せる。
 始まりは、先日の仕事の報酬を受け取ったところからだった。解決した仕事の依頼人が、『口止め』も兼ねて今の自分達には不釣合いなほどの報酬を投げて寄越したことが、一時的な慢心を招いたのだろう。それまでの節約に節約を重ねる生活から一転、突如沸いた湯水の如くの金銭は、誰もをいっとき狂喜と混乱に陥れた。
いつも明るい笑顔を絶やさない戦士の少女ですら、使っても使っても終わりの見えないあぶく銭の氾濫に、口元が笑みを描いたまま固まっていたほどだ。まして、それが件の頭でっかちとなれば――無駄に切れ味の鋭い頭脳を持っているくせに、肝心なところで抜けているこの男に掛かれば、どんな問題に発展するか想像に難くない。判っていながら、否、判っていてもなおそれを止められなかった辺り、あの時は自分もどうにかしてしまっていたのだろう。飲みに誘われ、嗜む程度で止めておくつもりが、気付けば梯子の果てにこの有様だ。酔い潰れた馬鹿者二人を部屋に追い立てず、眠りに留め置いていてくれた主人の厚意に、ただ頭を下げておくしかない。
「…大体、お前は、迂闊すぎるよ」
 昨夜のことに限ったことでもない。思えばいつも、この男は、どこか放っておけない。そもそも『口止め』の原因になった、お見合いの一件もそうだ。あんな差別主義の、人間以外には目もくれないような女に一瞬であっても鼻の下を伸ばすなど、到底自分には理解できない神経をしている。大事にならなかったからいいようなものの、巷にはどんな女がいるとも限らない。彼の家だの、財産だのがどうなろうと知ったことではないが、彼は、…そういえば、彼がどうにかなっては困る理由など、自分にもない気がしないでもない。
「あんな、これ見よがしに金をばら撒いて。…今度、結婚詐欺に合っても、知らんぞ」
「そうは言ってもな…」
 お前には、関係ないだろう。呟かれた言葉に、なぜか、頭痛がひどくなる。ままならぬ思考は昨夜の深酒のせい、同じく気の効かぬ身体は、深酒に誘った男の短慮のせい。言い聞かせてはみても、一度ざわめいた胸の底が、どうにも苦しく落ち着かない。
「関係…なくは、ない」
「わたしだって、もう、いい年だ。…別に、お前に心配してもらうことでもないよ」
「…お前の心配じゃ、…ない」
「…じゃあ、何なんだ」
「………」
 瞼が重い。閉じかけた目に垂れかかる前髪を、指先で力なく弾く。余計なことを言ったかもしれない。これも、酒のせいだ。全て、彼が、二人で飲もうなどと言ったから。
「…観察」
「…観察?」
 ごろり。酒樽でも転がすように、彼が、首の向きを変えた。眠たげに目を瞬き、こちらを見つめる。角ばった頬に、物差しでも当てたかのよう、写る直線が何やら可笑しい。
「お前、あの見合い相手に、言ったんだろう。…わたしやパラサのこと、『研究の対象として観察してる』と。…それと同じさ」
「…それ、お前に言ったか?」
「聞いたよ」
 正確には彼でなく、仲間の一人である女魔術師の使い魔を介して、だが。小さな婉曲は言葉にすることもなく、思いついたままを、油の切れた舌に乗せる。
「…わたしは、わたしを観察しているお前を、『観察』してやっているんだ。…だから、お前が変なことになると、…都合が悪い。つまらん」
「ひどい言いようだな」
「お互い様さ…」
 くぐもった笑い声を上げながら、憮然とした表情を眺める。やはり、人間は面白い、と思う。光と水に溢れた、しかし波のない森の光景を見つめるよりも、刻々と移り変わってゆく人の喧騒を眺める方が楽しい。とりわけ、刺激と騒動を振りまいてやまない、こんな男の傍にいるのなら。
「…だから、せいぜい頑張って、長生きしろよ。でないと、わたしもすぐ、退屈になってしまう…」
 言われるまでもないとばかりに、ごつごつとした頭がまた、横を向く。取り澄ました顔の目立つ彼が、こんな仕草をするのも、初めて見たように思う。
(…そうだ。お前の傍にいると、『初めて』が、いつもやってくるよ)
 喜びばかりでもない。思うようにゆかない苛立ちも、どうにもならない事態を看過する悔しさも、決して受け入れたいことばかりに相対するわけでもない。恐らくは、こうして共にあることを選ぶならば、いつか受け入れがたい離別の日も訪れるだろう。
同じ定命の種とはいえ、時の流れは確実に、彼や仲間達を奪ってゆく。二度とまみえぬその日が訪れるまで、自分は、果たして、耐えられるのか。
「…長生きしろ、アーチボルト。お前には、生きていてもらわなければ困るんだ」
 呟く己の声など、今は、届かなくていい。願わくは、彼が道半ばにして斃れぬことを。不信心者の祈りを聞き届ける神などいなくとも、発した言葉を、風はきっと聴いている。
 さやさやと、風がうたう。うららかな光と翳の打ち寄せる窓辺は、懐かしい故郷の森に似て、けれど僅かに違うものを孕む。行き交う人の流れ、かろやかな馬の蹄の音、肩を寄せ合い眠る、彼のかすかな息遣い。ひとつひとつは脆く儚い音の刻みに、耳をそばだて、再び己も目を閉じる。
とこしえは要らない。ただ、もう少しの間だけ、このままで居させて欲しい。まどろみに沈み、彼の傍で、賑やかしい金色の夢を見るまでは。
 
 
 
 
 
 
うおおおおおお、ありがとう!!
本当にありがとうSBSさん!!
 
そんなわけで、HP開設お祝いにSBSさんからSWアチスイ小説を頂きました。
いやあ、スイフリーがツンツンしてることしてること。
丁度、バブリーズが貧乏パーティーからバブルに突入したあたりでしょうか。
「結婚するって本当ですか?」とかすげぇ懐かしいです。
 
素晴らしい小説をありがとうございました。
っていうかお願いです、また書いて下さいアチスイ…!(笑)。


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