「…………、…う、…」
下腹部に溜まる熱が、また、音もなくじわりと膨らむ。
窓枠を風ががたがたと揺らす。いつになく激しい夜嵐に背を押され、木の枝が狂ったように痩せた腕を振り回す。大気の引き裂かれる音は耳の中、いつまでも、喧しく反響を止めることがない。
何もかも覆い隠す灰色の夜の中、思考までも闇に包まれたようで判然としない。身体の奥、燻る熱のまま夜気を掻き分け、持て余す物狂おしさを絡め合う。顔を逸らしつつも互いに向き合い、肩を寄せてすることが、それぞれに潜む餓えた獣の慰め合いとは。
「…手、止まって、ないか」
「…お前こそ」
頭上から降る低い耳打ちに、苛立ちを隠すこともなく答える。もどかしい。自らの熱を他人に預けることの、何と気だるく、回りくどいことか。
遠慮がちに己の欲を責める手は、胼胝と傷に覆われた無骨そのものだ。こんなものを握るよりも、やはりお前の手は剣を握る方がずっと似合っているよ。思うものの、言えば、付け上がらせるだけと知っている。知っているから、口を噤み、ぬめる器官を擦り上げる。
「何か、…言った方が、いいか」
「何を…」
変なところで、変なことを気にする奴だ。思えば目の前の男は、茫洋としているくせに妙な場面で勘が鋭い。無神経なようでいて、仲間同士の諍いを未然に防ぐこともある。初心の冒険者でもそうそう見せないそそっかしさを発揮したかと思えば、突如、誰もが考え付かなかった案を考え付くこともある。考えれば考えるほど、彼は、良く解らない男になってゆく。
そういえば、元々、こんな馬鹿げた遊びを仕掛けてきたのも彼だった。きっかけは何だったか――もう、今となっては思い出せないほど、些細な過ちを犯してしまったその夜。いつになく犯した過失が、喉の奥に引っかかって取れなかったことだけ、はっきりと記憶している。そして、眉根に皺を寄せたまま部屋に引き上げた自分を、彼が何故かまじまじと見つめていたことも。
(…変だとは、思ったんだ。変だとは)
それでも平時の態度が態度だけに、彼の挙動がどれだけ不自然でも、何一つ疑うことはなかった。部屋に引き上げ、深々と寝具に沈み、不機嫌の塊を眠りの奥底に押し込めようとして…叶わぬと煩悶の末に諦めた直後、真夜中の静寂が突然に破られたのだ。
『やはり、眠れないのか』
部屋の主の許可もなく、申し訳程度のノックの後。開口一番そんなことを言いながら、彼は、ずかずかと寝台の傍に寄ってきた。
『眠れない時は、頭の混乱を身体も引きずっているものだ。それなら、無理やりにでも身体に刺激を与えて、疲労させればいい。あっという間に眠れる』
そうだ。彼がそんな風にもっともらしく告げたことに、耳など貸さなければ良かったのだ。あの時全てを無視して、強引にでも眠ってしまっていれば、…こんなことには、ならなかっただろうに。
「…あ、う、」
不意に、じん、と下肢が痺れた。次いで、じわじわと脚を伝い上がってくる、微かな官能に声を漏らす。不器用の過ぎる彼も、ようやくそれらしい遣り方を掴んだのだろうか。溢れ出す生温かな滴りを絡め、生殖のための器官を包み込む掌が、張り詰めた感覚の糸を幾度も幾度も弾いては遠ざかる。
「…我慢は、しなくていいからな」
「…お前、こそ、」
本当は、その一言を絞り出すのもつらい。触れられた部分が今にも融けてしまいそうなほど、身体が快楽に酔わされている。これでもし、相手が目の前の彼でさえなければ、自分は素直になれるのだろうか。
想像してみても、適当な相手の顔すら、もう浮かんでくることがない。そんなはずはないのに。自分だって、彼だって、相手なら他に何人も思い当たるはずなのに。少なくとも彼は己など眼中にないのだ、必死になって呟く己を、どこか冷めた目でもう一人の己が見つめている。
気が付けば、いつからか、空いた片手が男の肩を掴んでいた。握り締めた布地の下で時おり、鍛えられた筋と肉が快感を映して震える。ああ、この男も、慰められていないわけではないのだ。胸に宿る妙な安堵は、ちっぽけな自尊心から来るものか。
「…あ、あ、…くそ、」
目が眩む。競っているわけではないといえ、先に達するのはそこはかとなく悔しい。理由のない不満とどろどろに煮詰められた悦楽が雑じり合い、渦を描いて高みへと駆け上ってゆく。気持ち良い。苦しい。気持ち良い。悔しい。迸り出る感覚のひとつも言葉に出来ず、くう、と、奥歯で声を噛み締める。
…訪れる一瞬の間だけ、逞しい腕が、痩せた己を抱いたのは気のせいだろうか。
「…なんだってお前は、こんなこと、思い付いたんだ」
「…本当にお前は、何でも理由を求めたがるな」
互いに吐き出すものを吐き出してしまえば、後は交わす言葉も少ない。汚れた寝具と衣服を始末し、煙草のひとつでも嗜みながら、いずれ明ける夜の切れ端を待つ。昔よりましとはいえ、それでも男二人には狭い寝台に、結局彼は明け方まで陣取ってゆく。
「お前はわたしとは違うだろう。…手慰みなら、幾らでも相手が見つかるはずだ」
「見つけてどうする。…恋人ごっこでもしろと言うのか?」
こんな風に。言葉と共に、ぐっと引き寄せられる。
触れ合うすれすれまで近付き合う唇に、何故か、言いようのない怖さを感じた。もし一度でも触れ合ってしまえば、もう、引き返せなくなるような気がしたのだ。
「やめろ、」
なけなしの力で押し返す腕に、彼は逆らわなかった。知性派を気取るとはいえ、彼は戦士だ。膂力で劣る自分の抵抗など、ものともせず捻り潰すことが可能であろうに。
「…そういう関係じゃないだろう。わたし達は」
「…そうだな」
それきり、彼は何も言わない。壁に身を寄せ、押し黙ったまま、僅かな息遣いだけを響かせる。いっそどちらかが眠ってしまえば、煩わしさを感じることも無いだろうに。
なぜ、己は彼が来る度、こんな思いをしなくてはならないのだろう。もはやいつから始まったのかも、いつ終わるのかも知らぬわだかまりを抱えたまま、不機嫌な顔をして陽光の下をさ迷う。そんな顔で彼の前を歩けば、長い長い夜を分かち合う羽目になると解っていながら。
(…そういう関係じゃない。そういう関係じゃないんだ。わたし達は。わたしとお前は)
果てるまで繰り返してもなお、じりじりと胸を焼く呪いは尽きない。自ら突き刺した棘だけが朽ちぬまま、身体ごと魂を蝕んでゆく。誰も助けてはくれない。夜明けのない牢獄のような情動に繋がれて、ひとり、苦しむ他にゆく道などない。
お願いだから夜よ、早く、一刻も早く明けてくれ。そうでなければ、自分はいつか、取り返しの付かない過ちを犯してしまう。背中合わせの温度など知らねば良かったと、後悔できるうちに終わらせてくれ。
彼の呼吸に耳を澄ます。ああ、今夜もまた、こうして自分は眠れない。
友人以上恋人未満な二人。
もやもやエルフさん。
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