Treasure
頂きもの展示室
実は第二のメインページ。



 4    灯火よ、消えずあれ (アチスイ小説・SBSさまより)
更新日時:
2010.08.12 Thu.
 
 
握り締めた槍の柄に、じっとりと温い汗が滲む。
音の絶えた戦場。対峙していた魔神は既にその脈動を止め、忌まわしい屍を眼前に晒している。二度と立ち上がれぬほど切り裂かれ、赤黒く爆ぜた異形の肉に、今更ながらかすかな吐き気を催す。もう、とうの昔に捨てたはずの弱さを、気付けばまた胸の内に抱えている。
この世ならざる怪異と相対するとき、いつも感じる、畏怖と呼べるほどの強烈な違和感。おぞましくも力に満ち溢れたそれを目にする度、己の奥底に沸き起こるほんのわずかな揺らぎを認めずにはいられない。自分にも、あれほどの力が備わっていたならば。暗き深淵より招く声は、闇の妖精、楚を統べる神、異界よりの魔の口を借りて、繰り返しそのささやかな望みを――決して叶えられるべきではない、愚かしさに溢れた渇望を揺さぶる。
(おお、妖精よ、我が眼前に立つそなたの斯くも脆弱なることか)
今しがた滅ぼしたばかりの魔神の言葉が、まだ、耳の奥に反響する。
(己の弱さを悔いたる賢しきもの。永久の喪失を恐れし森の民よ。綺羅めでたかりき魔の加護あらば、いと細きそなたの手にも、いにしえの巨竜すら屠ることが叶うであろうに)
戦いの最中、剣戟と魔法の合間を縫って届いたその声は、否む心にも故郷の詩の如く滲み入った。誰一人として死なせはせぬ、戦乙女の鬨に身を任せ、輝ける槍を紡がんと開いた胸に。
(誰よりも何よりも強き魂をやろう。我はそなたに、そなたは我に。閉ざされし殻を破り、そなたは新たな翼を得て羽ばたく。何者がそれを阻めようか。成長は生きとし生ける全てに赦されし絶対の権利、神ですら否むことは出来るまい。己の限界を超えんと、傍らにある仲間を護らんとそなたが真に願うならば、その手を掲げ乞うがよい。勝ちたい、強くなりたい、負けたくない、力が欲しい――全てを護るそのために、誰も死なせぬそのためにと…)
 
「…スイフリー」
「違う!」
弓の弦を引き絞るように、喉から言葉が迸り出た。
「違う。…わたしは、違うんだ。…そうではない」
「何がだ?」
よく聞き慣れた、低い声が耳を打つ。振り返ればすぐ背後に、怪訝そうな表情の男が立っていた。真銀より成る愛剣を鞘に納め、癒えたばかりの傷痕を確かめつつ、立ち尽くす己に視線を向ける。
「大丈夫か。…まだ、奴の影響が?」
「…いや」
何でもない。呟いて軽く首を振り、悪夢の残滓を払い落とす。考えてみれば正気の沙汰ではない。一時とはいえ、あのような虚言に耳を貸し、あまつさえ魂を取り込まれかけたなどと。
「本当に、平気か」
「平気だ」
深い呼吸を、ひとつ。閉じかけた瞼を開き、広がる光景を目に焼き付ける。皆、惨々たる有り様だが、一人として死んではいない。
(……生きている)
――生きているのだ、皆。
「スイフリー。どこか負傷したのならば、グイズノーに言って」
「…そうじゃない、アーチボルト。…疲れただけだ。少し、疲れただけだよ」
襲い来る色濃い死の影に、幾度、息絶える仲間の幻を見ただろう。技量を上げ、経験の増すごとに胸を蝕む恐れは、己の存在が失われることへではなく…。口には出さねど絶えず在る戦慄きの、乗り越える術を、未だ見付けられはしない。
「そうか」
あやふやな答えに果たして納得したのだろうか。それ以上は何を問うでもなく、頷いて、彼は告げる。
「…戻るとしよう。まだ、後処理が残っている」
「そうだな」
かつて魔神であった屍に背を向け、男に合わせて歩き出す。槍を握る手からは、まだ汗が引かない。首筋に貼り付いた後ろ髪が、なぜか、無性に冷たく感じる。
こつこつと床を叩く靴音は耳を離れない、まるで振り払ったうつろな囁きのように…いつまでも続く、螺旋に絡め取られて、胸の内の一際脆い場所に食い込む、それは呪いのよう――。
 
――ふと、温かいものが、肩口に触れた。傍らを歩く男の掌が、幼子を宥めるかのように、竦めた肩を軽く叩く。
「大丈夫だ」
まっすぐ前を向いたまま、何でもないことのように、彼が言った。
「皆、ここにいる。…お前も、私も、誰も欠けることなく。…だから今は、何も案ずるな」
「…………ああ」
肩に残る温度に、なぜだかひどく苦しくなる。いつかまだ駆け出しの頃、夜闇に見つめた焚き火と同じように懐かしい温もり。共に道行くことを選んでから、ずっと変わらずそこにある。
「わかっているよ」
失うことへの恐れは、消えない。きっとこの命が尽きるその瞬間まで、或いは、時の流れに避けられぬ離別の日が来るまで。
それでも今は、まだ、恐怖を塗り潰す力にすがりはしない。傍らに灯る火が道を照らす限り、幾度闇に惑うことがあっても、けして足を踏み外しはしない。灯される短き生命の火を、向かい風に吹き消されぬよう、護りながらこの足は進む。
扉の前で、手当てを負えた仲間が待っている。歩調を揃えた男と二人、足早に、薄い闇を抜けてゆく。
横たわる骸を振り返ることはない。戦場へ続く扉は音を立て、今、閉ざされる。
 
 
 
 
デーモン・アゲイン時の騎士エルフを頂いてしまいました。
デーモンとの戦闘時にエルフさんが1回抵抗破られてたよね!という会話から派生。
ツンデレのデレを突かれたんですねわかります。
 


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