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頂きもの展示室
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 6    ひめごと 内幕 (アチスイ小説・SBSさまより)※
更新日時:
2010.08.12 Thu.
 
 
 薄闇のなか震わす喉に、硬く、短い髪がまた触れる。
 身じろぎに乱れた、敷布の海の上。いっさいの灯火を絶やし、夜のとばりのただ中で、触れるまま探るまま互いの四肢を絡ませ合う。
飽きることなく繰り返し繰り返し、剥き出しの喉に齧り付く、彼の姿が人馴れした犬のようですこしおかしい。自らの獲物だと示すように、素肌に歯を立てるその感触を、どう受け入れたものかすこし迷う。
「さっきから、何だ、お前。…そんなところにばっかり、噛み付いて」
「いい噛み心地なんだ」
 申し訳程度の返事。そしてまた、むず痒いような痛み。
甘噛み、とでも言うのだろうか、不快にならないぎりぎりの強さで与えられる刺激に、苦痛にも快楽にもはっきりと振り分けられない焦れが溜まる。
初めは躊躇いがちに行われたそれは、なけなしの衣服をほとんど肌蹴られた今となっては、まるで当然の行為だと言わんばかりに場所を選ばず降り注ぐ。あるいは本当に、食欲が先立ったのではあるまいな、と、余計な心配まで浮かんできてしまう。別の誰かならさておき、彼なら、わけのわからないことでも平気でやりかねない。
「…噛み癖がある犬は、嫌われるぞ」
「大丈夫だ。わたしは犬ではないから」
「似たようなものだろう…」
 募るもどかしさに声が上擦る。僅かな変化を見て取ったのか、もしくは、単に飽きただけなのか。なだらかとしか言いようのない己の胸板の上を、ふと、ごつごつとした掌がゆき過ぎた。撫でる、というにはやや力の込められたそれは、ささやかに肌を覆う布の隙間に入り込み、痩せた脇腹を掠めて下肢へと降りる。
「…あ、」
 腿の内側に、太い指先が触れた。局部に至るでもなく、ぺたぺたと皮膚を歩き回る、挙動のひとつひとつに息が詰まる。
気持ちのよいものではない。だが、なぜだか、拒む気にもなれない。気紛れそのものの仕草に自分ひとりが振り回されて、不公平ではないか、こんな遣り方は。
「変なところばかり…触るな、」
「なら、どこがいい」
「…言わせる気か?」
「同性相手のことは、勝手が判らん」
 ぬけぬけと言い放つくせに、掌は弄ぶ動きを一向に止めない。時おり局部すれすれを通りがかる、節くれだった指の腹が、思い出したように方向を変えて膝頭を撫ぜる。
「…こんなことでは、そのうち夜が明けてしまうぞ」
「わたしはそれでも構わんが」
「お前が良くても、わたしは構うんだ」
「ふむ」
 満更でもないのに、とでも口にしそうな、男の表情が見えすぎるほど見えてしまうのが悔しい。常日頃から慣れ親しみ、友人と公言してはばからぬ精霊の力も、こんな時にまで用いたくはない。いっそ目を閉じて全てを委ねた方が楽ではあろうが、いかんせん相手が相手だけに、手放しで任せる気にもなれない。
「まあ、お前が言うなら仕方ない」
「…ひっ!」
 するりと太腿を離れた手が、やにわに局部を握り込んだ。遠回しにもほどがあるとはいえ、緩やかな刺激を与えられ続けてきた身体は、些細な愛撫にも過剰な反応を示してしまう。溢れ出た悲鳴を飲み込む間もなく、掌で幹を扱き立てられ、ただ、呼吸を繋ぐだけで精一杯だ。
「や、…いきなり、触る、な、」
「言って、どうなるものでもなかろう」
「…ふざける、な、…う…」
 少し力を込めて握られる、それだけで、情けないほど声が揺れる。酒気にあてられた下肢を蝕む熱が、爪先からじわじわと腹へ遡るさまを感じ取ってしまう。意志に反し、とろとろと滴り満ちてくる先走りに、濡れそぼる器官が堪らなく疼く。
 遠慮でもしているつもりなのか、掌の動き自体はさほど性急でもない。それなのに、触れられた箇所はそのたびどうしようもなく火照り、次の刺激を求めて声高におめく。ひりつく肌は彼の手を恋うてやまぬのに、快楽を追って卑しいまでに戦慄くのに、ごつごつとした指先は、欲する感覚を最後まで与え切ってはくれない。寝台に身を投げ出し、立てた両膝の間で広げられる慰みに、頭を抱えたくなるほどの羞恥を、悦楽を感じる。
「…ん、…く、…、」
「我慢するな。うちの使用人は優秀だから、少しくらい騒いでも誰も気にせん」
「うるさい、…ばか、もの!」
 そういう問題ではない。どうせ理解できないとは思うものの、言わずにはいられない。そんな気休めにもならないことを言われて、どうしたら、はいそうですかと素直に声を上げられるだろうか。もしかしたら、この男、わざとやっているのではないだろうか。
「…ぅ!」
 悪態に気を取られかけた頭を、また、強引に呼び戻される。先刻まで散々噛み弄られた胸元を、今度は、ざらついた舌先が這う。生温かく濡れた感触は、それ自体ひとつの生物のように蠢き、やがて胸の頂点へと辿り着く。
 目を閉じれば覆い被さる彼は見えない。息遣いと跳ねる水音だけが耳を犯し、下腹部まで滲みて、じわりじわりと先走りに素肌がうるむ。まるで、野生の獣と睦むようだ。餓えたけだもののように肉体を貪る、こんな彼を、他に誰が知っているだろう。少なくともいま、彼の変貌を知っているのは、自分ひとりだけしかいない。単純な事実にすら身体は酔い痴れ、捕食じみた愛撫のひとつひとつに、止め処なく官能を覚えてしまう。
「ほら。いい加減、声を出せ。…そんなに意地を張らなくてもいいから」
 宥めるような耳打ちに、返事すらろくに返せない。自棄になって首を横に振るのも、もう、苦しいくらいだ。堪えれば堪えるほど身体は制御を外れ、恥ずべき欲に絆されて、ともすれば自分を見失いそうになる。止まらない指先の震えを、鎮まらない胸の火照りを、どうしたら消し去ることが出来るのだろうか。
「…ずる、い。…おまえ、は」
「何がだ」
「わたしばかり、…こんな、…はずかしい。…不公平、だ」
 湧き上がる羞恥に目も開けられないまま、手探りに、彼を求める。ややあって手首を掴んだ大きな掌の感触に、なぜだかひどく心が安らいだ。おかしな話だ。そもそも己を苦しめてやまない、疼きの元凶は彼自身に違いないのに。
「なら、どうすればいい?」
 どうしてそんなことまで意見を求めるのだ。判りきったことなのに。どうして、己が欲しいものが他にないと、気付かない。幾ら穏やかな声音で問われても、息を吐くだけで震える喉は、いつものように上手く言葉を操れない。本当は、自分だって、こんな時まで彼を罵りたくはないのに。
「本当に、わからない、のか?」
「まあ、見当が付かないわけではないのだが」
「…なら、」
「ただ、大まかな流れはともかく、細かい部分の手順がどの文献にも載っていなくてな。うちの蔵書も案外大したことはなかったようだ」
「………お前、明日、ご先祖様に謝って来い…」
 気の抜けたやり取りを交わしながらも、中途半端に煽られた熱は鎮まらない。緩やかに指先を絡め合いながら、空いた片一方の手で執拗に、溢れそうな欲情の源を弄られる。反らした喉元に歯を立てられても、身体には淡い快楽しか届かない。満ち引く波めいた疼きのなか血肉は餓え、癒されぬ渇きを抱えて、最後の理性をも跡形もなく呑み込む。
 耐えられない。もう、何もかも、情欲に任せて吐き出してしまいたい。思った刹那、ふと、屹立したものから掌が離れた。次いで、ごそごそと何かを探る物音。
余裕もなく物音を立てる有様に、彼も切羽詰っているのか、とようやく悟る。離れた指先を追って伸ばす手で触れる、劣情の証に、波打つ呼吸を飲み込むのがやっとだ。
「こら。…止さないか、そんなところ」
「…好き放題わたしに触っておいて、今更、そんなことを言うのか?」
「スイフリー…」
「静かにしろ」
 心底困ったような彼の表情に、ひそかな優越感が胸をざわつかせる。やはり、されるがままは性に合わない。ふしだらな真似など本来自分の好みではないが、散々醜態を見られた彼が相手だ、このうえ何を遠慮することもない。
 寝台に片手を付き、厚い胸板に顔を預けながら、下衣を留める金具の辺りをまさぐる。押し当てた額に伝わる鼓動は心なしか急いて、例え顔は見えずとも、相対する彼の心情を雄弁に囀る。ああ、彼がこんなに揺れているのは、わたしに触れたゆえなのだ。彼の手はもうどこに接してもいないのに、思うだけで下肢がうるむ、己は、きっとしたたかに酔っている。
 寛げた衣服の間から、怒張しきったものを掌にずるりと受ける。大きい。旅のさなか、幾度か戯れのように慰め合ったことはあるけれど、その時に見た彼のものはこんなにも逞しかっただろうか。呆れとも当惑ともつかぬ曖昧のなか、乱れゆく彼我の呼吸を聞きながら、今しがたされた行為を真似て手を動かす。
「…こういうのが、良いのか…?」
 問うてみるも答えはない。凝り固まった熱を緩く上下に辿れば、その度、押し殺した呻きが鼓膜を震わす。掌から手の甲へと伝い落ちるぬめりは尽きることなく、溢れては広げた太腿に伝い落ち、素肌に浮く汗ともつれては寝台を汚す。
「どうなんだ、…アーチボルト…」
「…酷なことを問うな、お前も」
 吐き出す声が互いに擦れている。中途半端に絡めた下肢が、汗みずくに情事の匂いを纏う。己ではない誰かと、体温を交わす行為。よりによって自分達は、どうして互いを選んでしまったのだろう。来し方も行く末も今すらも頭のなかではぼんやりと霞んで、撓む視界にはもう、彼の姿しか映らない。
「…あ、」
 不意に、胸元を押される。ろくに身構えもせず倒れ込んだその上に、彼が、覆い被さってくる。息を荒げながら痩せたうなじに齧り付かれ、戦慄く唇に、どうにか叫び声を押し留める。肉付きの悪い脚に熱の源が擦れて、擦れて、斬られたようにひどく痺れる。
 思考が身体に追い付かない。開いた脚の間に、とろりと、生温い液体が垂れ落ちる。どろどろに雑じり合った体液とは、少し違う。下生えに濡れ光る水音は重く、指で掬う感触は粘り気を帯びて、かすかに甘い香りすら漂う。香油の類か。閨でのその使い道を思い出すよりも早く、太い腕が、割り開かれた脚の谷間へと伸びた。
「ぁ!…あ、ぅ、…うぅ!」
「…息、止めるな…」
 ごつごつと節くれ立った指先が、狭い浅瀬で蛇のようにのたうつ。受け入れるための器官ではないその口に、半ば無理やり捻じ込まれた質量が恐ろしい。同性同士の交情は方法が限られていると知ってはいるが、自らの身体で経験したことなど、勿論ない。
「…ん、ん、…ぅ、…あっ、…く、ぅ」
 噛み締める奥歯の隙間から、抑え切れぬ音が流れ出る。声ですらない。意味を持たぬつぎはぎの言葉。体内のやわらかな部分を擦り上げる硬さは、紛れもなく異物ながら、拒み切れない快楽を帯びて肉の悦びを暴く。
 気持ち良くなどない。感じてなどいない。言い聞かせるのはまだ、行う背徳を否まんとする思いを抱える、理性の最後の足掻きだろう。指のひと掻きごとに突き崩されゆく分別を、いつの間にか、疎み遠ざけ始めた自分がいる。
「辛く、ないか?」
「…ないわけ、ない…だろう、が、」
 はじめて、なのだから。息も絶え絶えに吐き出す文句に、何を思ったか、もう一本指が突き入れられた。咄嗟に押し殺した悲鳴の名残が、ひゅう、と風切りの如く鋭く鳴る。これ以上拡げられたら、身体が、音を立てて壊れてしまいそうだ。
「ふ…あ、ぁ、…や、なに、やめろ、ぁ…」
 力の抜けたままだらしなく広げた、腿の内側に何かが当たる。ぬるりぬるりと、腰を揺すりながら前後に擦れるものは、つい先ほどまで指と戯れていた部位だろう。掌でも持て余したあの熱と硬さを、体内に迎え入れた時、果たして己は正気を保てるだろうか。
うねくる指が奥底を犯すその都度、頭のなかで夢想と現実が入り混じり、乱れた意識は飛びかけてしまう。己を犯さんとする男は、誰なのだ。犯されている己は、誰なのだ。こんな彼など自分は知らない。こんな己など自分は知らない。判らない。息も出来ないほど快楽に溺れる、深い悦びを、無造作に投げ渡す彼がとてもこわい。
「…あ、あぁ、」
 ずるりと、快楽の芽を引き抜かれる。後戻る道はない。物欲しげにひくつく後口は、本能のまま、貫かれるその一瞬を待つ。目に映るどれもが熱にひずむ視界のなかで、彼の姿だけ、やけにはっきりと見える気がする。
「…ここまで来ておいて、何だが、」
「…それ以上、…いうな」
 僅かな躊躇いに首を振って否む。つくづく、物覚えの悪い奴だ。ほんとうにどうして今更、己が彼を拒めるものか。彼の問いに頷いたあの時からもう、諸共に墜ちゆくしか選ぶ道はなかったのに。
 逞しい肩に両腕を掛け、耳元に唇を寄せる。うっすらと濡れた胸元は、押し付け合うとひどく心地良い。どくりどくり、脈打つ心臓の響きに、例えようもない幸福を感じる。
「いいか。アーチボルト。…もう、あと一度しか言わないから…よく覚えておけ」
 臆病な己には繰り返して告げられない。彼のようにありのままには出来ない。こんな遣り方でしか思いのたけを打ち明けられない己を、けれど、彼が選ぶと言うのだから。
「…わたしは、おまえの…おまえのもの、だから」
 お前の、勝手にしろ。
許されるだけの力いっぱいで、目の前の身体を、抱き締めた。
 
 
 
 果てのない刺激にうねる腰を、汗ばむ腕で強く抱かれる。
 体内を押し開く熱の塊。時間を掛け、根元まで突き入れられた剛直が、暴かれた鍵穴の奥で猛り狂う。とらまえられた腰を幾度も幾度も揺らされ、がつりがつり、抉られる。呼吸のたび迸りそうになる女のような悲鳴は、どれだけ掌で押さえても、下腹の底から湧き出して尽きない。灯された火に疼く快楽の芯が、鍛えられた腹筋に擦れ、止まらぬ淫楽の連鎖を引き起こす。
「ッ、う、っ、ふ…ぅ、…んッ、ん、」
 口元を押さえる手を取り払われ、代わりに、唇を重ねられる。貪るように口腔を掻き回す舌に、夢中で己のそれを絡める。ぴちゃぴちゃと水音が波打つ。息苦しさにさえも掻き立てられる情欲に、口の端から飲みきれない唾液が溢れる。舌先がこぼれた温もりを追い、噛み痕に彩られた胸元へと至る。
「や…あぁ、だめ、そこ、…駄目だ、アーチボルト…」
 一度でも箍が外れれば、抑え切れぬ喘ぎが溢れかえり止まらない。刺激に慣らされた素肌は口付けられただけで戦慄き、燃え盛る淫欲に油を注ぐ。擦り付けられる頬に頬を寄せ、差し出す喉に、唇に、接吻を受けて息が弾む。
 抱擁も口付けも求めたくはない。どうしたとて、ひとの温もりと接すれば、いつかは喪われゆくその儚さに目を向けてしまう。いずれ去るものと一線を超えて接するのは、本当はとても、とてもさびしい。
 それなのに彼が飛び越えて来る。積み上げた壁を易々と打ち壊し、無神経なほどに、そこにある何もかもを無視して己を求める。あやまちを紡ぐことを厭わず、きたる別離の日を厭わず、両の腕を開いて己が名を呼ぶ。受け止めるために来たのだから、恐れずに、次はお前が飛び降りる番だと。
「…アーチボルト…アーチボルト、…だめだ、こわい、…きもちいい、のは」
「…どうして」
「なにも、…なにも、かんがえ、られない、…こんなの、わたしじゃ、ない…」
 与えられる全ての快楽に傅き、跪いて、ひたすらに蹂躙を乞う。突かれる度にぐじゅぐじゅと薄濁りが溢れ、乱れた布に染みを作り続ける。きもちいい、こわい、おかしくなりそう、たすけて、もう、ゆるして。ひっきりなしに反響する幻の声が、喉を突いて次々と流れ落ちる。快感だけではない、無視出来ない苦痛も確かに存在しているのに、意識はその疼きを拾い上げてはくれない。
「なら、わたしのことだけ…考えていればいい」
「…あ、あ、」
「わたしだって…今は、お前のことでせいいっぱいだ」
「…うぁ、…あ!…それ、…や、あ…!」
 流し込まれた言葉がいつまでも消えない。尖った耳の先端を唇に挟まれ、うすい皮膚の部分はくまなく舌先に這い回られる。普段飾りを嵌めている、小さな穴の部分にさえ、菓子か何かと同じように歯を立てられてしまう。敏感な器官を執拗に責める彼の滾りは、己が浅ましく泣き喚くほど、突き立てた肉の奥底で勢いを増す。
 ずるずると抜き取られかけた肉棒を、再び、一息に奥の奥まで撃ち込まれる。上げる悲鳴は吐息ごと奪われ、もう何度目かも判らぬ口付けのなかで、喰らわれる悦びに自ら腰を揺らす。濡れた前髪を掻き分ける、刹那さえ、もどかしい。
 脈動が速くなる。締め付けた熱の塊に快感の楔を打たれ、目も眩むほどの悦楽に声が迸る。過ぎた愉悦にのたうつ腰を押さえ付けられ、下腹を縫い止められるほどの勢いで、捻じ込まれる欲情の証は堪らなく熱い。
 何事かを囁かれる。絶えることない睦言の意味を、きっと自分はまだ知らない。幼子のように教えられた言葉を重ね、途切れ途切れに呟きながら、彼の首筋に顔を埋める。しがみ付いた身体のあたたかさに、わけもなく、涙がこぼれ落ちる。
「………あ、ぁ、………ん、ぅ………!」
 はじける。血肉が沸き立つほどの衝動が、不意に、身体の内外で爆ぜ広がる。下腹にじんわりと満ちる温度を持った波が、やがて、穏やかな陶酔へと変じてゆく。達してもなお全身から抜けきらない悦びに、吐き出した溜息が、悲鳴のような尾を引いた。
 言葉少なに抱き合うこの瞬間の幸福を、限られた時のなかで共有する人間はどう形容するのだろう。寝台に沈んだまま肩を、額を寄せ合い、熱を残した唇で互いを慰め合う。何気ない仕草のひとつひとつ、触れる指の一本までもがいとおしく、硬度を残したまま体内に残る性欲すら、…性欲すら、…性欲?
 
 
 …何かがおかしい。
 
 
「…アーチボルト」
「…何かな」
「聞いていいだろうか」
「答えられることなら」
「…お前、済んだのなら、どうしてさっさと抜かない」
「つれないことを言うものじゃない。余韻という言葉を知らないのか?」
「どうしてまだ硬いんだ、これは」
「………生理現象は意志と無関係に起きるものだからな」
「あと、さっき、出す時にも抜かなかったろう。そのまま、したな」
「そういえば、そうだな」
「お前、わたしのどこに入れた、さっき」
「…細かいことは気にするな」
「馬鹿者!」
 叫んだ途端、突如腰に激痛が走った。異常事態のなかで一時的に麻痺していた感覚が、ようやっと身体に追いつき、務めを果たさんとばかりに雪崩を打って押し寄せてくる。悶え転がってやり過ごそうにも全身の力は抜けきり、無駄に逞しい彼の腕に抱きすくめられて、もう、どうしようもない。
「騙したな、アーチボルト!」
「わたしはべつに嘘を吐いたつもりはないが」
 同性相手のことは良く判らんと言っただろう。ぬけぬけと告げる相手の顔は、すでにいつものような鉄面皮に切り替わっている。
「まあ、寛大な心で許してくれ。誰だって過ちのひとつやふたつはするのだ」
「誰が許すか!慰謝料払え!」
「このうえまだ金持ちになってどうする。とりあえず落ち着け、スイフリー」
 どうやって落ち着けというのだ、この道楽貴族の馬鹿息子。何を思ったか無闇に人の頭を撫で繰り回す有様に、いっそ噛み付いてやりたくなる。これで宥めているつもりなのだとしたら、太平楽ぶりも相当なものだ。
「返せ!わたしの時間と純潔とその他諸々の貴重な財産を!今すぐ返せ!」
「残念ながら世の中には金で取り返せないものもあってだな」
「うるさい!返せ!戻せ!この変態!悪魔!ファラリスの手先!」
「それはお前だろう」
「わたしは未遂だったからいいんだ!」
「いや、その理屈はおかしい」
 やっぱり、間違えたかもしれない。こちらが騒げば騒ぐほど冷静になっていく彼に、怒りを通り越して殺意すら覚える。許されるならあの選択の瞬間まで遡って、雰囲気に流されそうになっている自分を怒鳴り飛ばしたい。こんな男のわけのわからない口車に乗せられて、ふしだらな振る舞いに身を浸した己が恥ずかしくて仕方ない。
「そんなに怒るな」
「ひ!?」
 連ねに連ねた罵詈雑言を最後まで言い終わらないうちに、ふと彼が腕を解いた。そのままこちらの腕を取られ、再び寝台に押し倒される。抜けかけた幹を押し戻され、内股を伝う白濁に、また、目頭がうるんでくる。悪い夢ならいい加減、覚めて欲しい。
「そんなに不満があるなら、やり直せばいい。もう一度」
 嘯く彼の口調はやはり、焦げた料理を作り直そう、くらいの軽さしか持たない。
「なに、今度は中で出さなければいいんだろう、簡単だ。手順は解ったしな」
「ふざけるな!」
「嫌か?」
 かさついた掌が、噛み痕の散らばる胸を撫でる。ちりちりと焦れる痛みの生温さが、先ほどまでの痴態を思い起こさせて気恥ずかしい。見上げる彼は不気味なほど爽やかに微笑んでいて、途方もなく、鬱陶しかった。
「嫌とは言わせんぞ。あれだけ泣き喚いてわたしの名を呼んで、最後にはあいしてると」
「言ってない!絶対に言ってない!」
「では、それも聞き直しだな」
 楽しげな宣言と共に、萎えた幹をぐりぐりと擦られる。身を硬くして震える自分を、わざわざ灯りまで点けて眺める底意地の悪さが憎たらしい。せめてもの仕返しにと睨み付けてはみるが、やはり、気持ち悪い微笑しか返ってこない。
「諦めろ。勝手にしろと言ったのは、あくまでお前なのだから。わたしは勝手にさせてもらう他にない」
 くつくつと低い笑い声を引いて、鼻先が寄せられる。口付けでもしろ、と言うのか。きっとそうなのだろう。長く付き合いすぎて考えが大体読めるようになった、己の習性がどうにも悲しい。溜息で溺れられるなら今頃自分は海の底だろうな、などと思いつつ、後のない己に嘆息する。そして、自分の人生を棒に振らせたかもしれない当人に、そろそろと顔を近付けてゆく。
「…お前なんか、大嫌いだ…」
 呟きは唇に呑まれて届かない。色気もなく夜の終わりを手繰り寄せる行為に、あと、何回身を委ねれば良いのだろう。どうしようもない大馬鹿者と、どうしようもない騒ぎに時を費やす、結局は己が一番どうしようもないのだろう。この世で一番どうしようもないものを愛して、本気になって、気紛れに振り回される。
 
 
 …結局、それが己の幸福なのだと、気付いてしまった自分が悪いのだ。
 
 
 
 
 
なるほどー、こんな調子でお付き合いを始めたわけですねエルフさん(真顔)
ありがとうSBSさん、萌をありがとう!素敵なシリーズだった!


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