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 7    もの憂き 告白 (アチスイ小説・SBSさまより)
更新日時:
2010.04.29 Thu.
 
 結局、最初に手を伸ばしたのは、どちらからだったのか。
 
 すべらかにととのえられた絹の敷布に、強く身体を押し付けられる。
 乱れた髪の隙間から、素肌に触れる布が冷たい。今しがたぬくもりを迎えたばかりの床は、深更の冷気に満ちて、暗い海底と同じ温度でまれびとを抱く。
 見上げることしか叶わぬ視線の先に在るのは、染みひとつも見当たらぬ高い天井だ。敢えて視界に入れたくないものを見るのなら、もう一点、見るものもある。戒められた肉体のすぐ上に圧し掛かる、屈強な身体の持ち主。
間近に捉えた表情はやけに真摯で、こんな状況でなければ頭のひとつでも小突いてやりたいと思う。この男に真面目な顔をさせるなど似合わない。出来るならいつもの彼と、いつものように無駄話をして、そのまま眠りの中に溺れてしまいたい。ささやかな願いを聞き届ける神など居ぬと知りながら、せめてもの気休めに考える。
「…離してくれないか」
「断る」
「じゃあ、離せ」
「それは出来ん」
「アーチボルト、わたしを苛めて何が楽しい。…今度は、何の悪ふざけだ」
「判らないか?」
 判らない。判りたくない。彼の意図を理解してはならない、そんな予感がする。寝台に組み敷かれて見上げるその顔は、僅かな揺らぎも見せぬまま、返答を待ち続けている。どうしてこうなったのか。何を間違えてしまったのか。自分は何か、彼の気に障るようなことでも、仕出かしてしまったのだろうか。
 
そもそもの始まりは、一週間ほど前のことだ。とある事件の折、負傷した彼の見舞いに訪れてから、その居宅へ足を運ぶことが多くなった。昼下がりに呼ばれてはだらだらと茶を飲み交わし、夕暮れに呼ばれては書庫の整理に誘われ、夜更けに呼ばれては酒宴も兼ねた晩餐に付き合わされる。怠惰を絵に描いたような生活を続けて数日、おかしいと考えるまでに存外時間が掛かったのは、彼の調子に良くも悪くも慣れてしまっていたせいか。今にして思えば、律儀に呼ばれる度顔を出さなければ、こんな面倒ごとに発展もしなかったのかもしれない。
『最近さ、スイフリーってアーチーと仲良いよね』
 何気なく最初に指摘したのは、最近、すっかり慎ましくなった戦士の少女だった。
『わたしが?べつに、特段あいつと親しくしているつもりはないが』
『でも、ここのところいつも家まで通ってるんでしょう。夕飯一緒に食べたり』
『たまたま時間が空いているから行くだけだ。お前だって、呼ばれることはあるだろう』
『わたしのところには、そういうお誘いなかったよ?…たぶん、わたし以外にも』
『…そうなのか?』
『うん。みんなスイフリーみたいにおごって欲しいって、羨ましがってた』
 アーチーとお喋りするのも良いけど、たまには宿にも顔を出してね。そんな風に軽く笑いながら去った彼女を、見送ったのが一昨日になる。その時は、どうせアーチボルトのことだから他に呼べる友人もいないのだろうと、本人が聞いたら怒り出しそうな結論で片付けてしまっていたのだが。
 今夜、呼びつけられた時も、頭の片隅に残った違和感が気にならなかったといえば嘘になる。それでも常の通り家まで出向いて、勧められるまま卓に着いたのも、彼の様子がどことなく気に掛かったからであった。幾ら己が暇を持て余しているとはいえ、こう頻繁に呼び出されるのも、そろそろ面倒になってきたという理由もあったが。
「いい加減、わたしで暇を潰すのは止めにしてくれないか」
 それなりに贅を尽くした晩餐の後。食後の葡萄酒を嗜みながら口にした言葉に、彼は怪訝な顔をした。
「…いきなりわけの判らないことを言うな、お前」
「わたしにしてみれば、最近のお前の方が良く判らん」
 空のグラスを積み重ねられた皿の隙間に捻じ込み、手狭ながらもようやく頬杖を付くだけの広さを確保する。昔ならば行儀の悪さを咎められもしただろうが、今更、そんな無作法を言って聞かせる者もない。
「レジィナから聞いたぞ。他の連中には、声を掛けていないそうじゃないか。…お前、そんなにわたしが暇そうに見えるのか」
「そういうことでは、ないが」
「では、どういうことだ」
「…説明しがたいな」
 いまひとつ要領を得ない返答に、ほんの少し苛立ちも込めて首を傾げる。こうして暇に飽かせて己を呼びつけ、毎日のように食事やら何やらを共にすることが、彼にとってどんな意味を持つというのだろう。
「ご両親だってご迷惑しているだろう。わたしのような者を軽々しく邸に入れては」
「父上と母上は、旅行中だ。結婚して何年かの記念、とかで」
「…そうか」
 やけに喉が渇くのは、供された料理が少し濃い目の味付けだったからかもしれない。いつの間にか注ぎ足されていた葡萄酒を呷り、とにかく、と言葉を吐き出す。
「ともかく、特に用事がないなら、あまり呼びつけないでもらいたいな。わたしにも、都合というものがある」
 実のところ、言うほど用事らしい用事などはない。ただ、自分だけが彼の良い玩具にされているのが、どうにも癪に障っただけだった。
返答も待たず、言い捨てるように席を立つ。部屋の隅に控える使用人に軽く頭を下げ、ずかずかと大股に踏み出して、…しかし、二歩目は踏み出せなかった。
(あ、)
 何かがおかしい、と思った時には、もう遅い。腰からその場に崩れ落ちた一瞬の後、ばたばたと足早に誰かが駆け寄る音がした。誰か、とは言っても、わざわざそれが誰であるか考える必要もない。怒っているのか戸惑っているのか見分けがつきづらい、と評される顔が、ぐるぐると回る視界にふと割り込む。
「…大丈夫か?」
「大丈夫だ」
 幸いなことに、呂律ははっきりしていた。頭の方も、前後不覚になるほどではない。酔いが回って使い物にならなくなったのは、どうやら腰から下だけのようだ。
「少し、飲みすぎた。…お前があんなに勧めるから」
「わたしのせいか?」
「そうでなければ、誰があんなに飲むものか」
 視線を合わせるのも気恥ずかしい。あれだけ悪態を付いておいて、肩を借りなければ立ち上がるのも覚束ない有様が、情けなくて仕方がない。それでも少し休みさえすれば、どうにか宿までは帰れるだろう。
「…玄関まで行けば、後は休み休み帰れる。一人で平気だ。…ご馳走様」
「ああ」
 どこか気のない声と共に、ぐ、と身体が持ち上げられる。みっともない真似は晒したものの、ともかくも、これで帰途には就けるわけだ。使用人に指示を出す彼の声を聞きながら、導かれるままよろよろと歩き出す。
いつもより、酔いが早く回っている気がする。こめかみの辺りに腰を下ろした眠気が、とろとろと、瞼を下ろしてゆく。半ば目も閉じた状態で、担がれるようにして歩く己の姿は、客観的に見ればなかなかに滑稽だろう。こんな様子なら、彼も明日から呼ぶのを躊躇してくれるかもしれない。脳裏に浮かんだ可能性はなぜか、それほど喜ばしいことのようには思えなかった。
「………ん、」
 ふと、違和感を覚えた。いかにこの屋敷が広いとはいえ、玄関までの道筋はこれほど長かっただろうか。そういえば先程、通った覚えのない階段まで上らされた気がする。
「アーチボルト?」
「なんだ」
「…わたしは、いま、どこにいるのだ?」
「二階だが」
「…二階に、玄関があったか?」
「うちはそんなに奇矯な家ではないな」
 かちかちと錠前を弄る音が聞こえた。次いで、分厚い木の扉が、僅かな軋みを上げて開く。重い瞼を懸命に持ち上げ、どうにか目を凝らした先に広がっていた光景は、どこからどう見てもただの寝室だった。更に細かいことを言うなら、世の中に存在する寝室の中でも、相当高級な部類に入る部屋だ。
「どこだ、ここは」
「ただの客室だが」
「玄関は…」
「まともに腰も立たないような奴を一人で帰すほど、わたしは無神経ではないな」
「…そういう言い方も、充分無神経だと思うが」
 言いつつも、抗う気力はほとんど残っていなかった。促されるまま寝台に腰を下ろし、そのまま、柔らかな枕の上へ倒れ込む。言動の不一致も甚だしい行為だが、とうに体面を繕っていられる状態ではない。
「スイフリー」
「…んん」
「ひとつ、聞いていいか」
「答えられることなら…」
 面倒くさい。今更何を改めて問うようなことがあるだろう。どうでもいいような問いなら、聞かなかった振りをしてそのまま眠ってしまおうか。舌先三寸で対応策が固まりかけた直後、突如、視界が逆転した。
 軽々と身体を引っくり返され、視線の向いた先には、相変わらず何を考えているのか良く判らない顔がある。何が起こったのか把握する間もなく、力の抜けた両腕を掴まれ、まとめて頭上に押し付けられた。いったいお前はそこで何をやっているのか。果たして問うていいものかどうか、逡巡の間にも、てきぱきと拘束が進んでゆく。
「…アーチボルト、」
「ああ、そう、聞きたいことなんだが」
 その時の彼の口調はまるで、明日の朝食はどうするかとでも問うような口振りだった。
「スイフリー。もしかしてお前、わたしのこと、好いているのか?」
 
 そして、現在に至る。
 
「…前々から、螺子の飛んだ奴だと思ってはいたが。とうとう名も無き狂気の神にでも魅入られたか、お前」
「いや、残念ながらまだご縁はないな」
「自覚がないのは困りものだな。明日神殿まで付き添ってやるから、グイズノーに呪いを解いてもらえ」
「…わたしは真剣に聞いているのだが」
「聞いてどうする、そんなこと」
 どうしてこう、彼と話をすると、いつも明後日の方向に話が向かってしまうのだろう。いつものようにつまらない冗談で済めばまだいいが、何せ、置かれている事態が事態だ。見上げる顔が先刻から表情を変えぬまま、淡々と言葉を紡ぐのも空恐ろしい。
「いや、一方通行は良くないだろう、こういうのは」
「どういう意味だ」
「ああ、つまり、わたしはお前が好きなんだが、お前はどうなんだ」
「…………は?」
 一瞬、言われた意味が理解できなかった。否、言葉としては捉えていても、脳が理解することを拒否した。誰が誰を何だと言うのだ。それが自分にどう関係するのだ。混乱の精霊に埋め尽くされそうな己を置き去りにしたまま、止め処なく、告白めいた何かが降りかかってくる。
「わたしは、お前の無駄に勘繰り深い頭も、皮肉か罵詈雑言以外は滅多に出てこない口も、押せば倒れる針金のような身体も全部好きだぞ。ああ、後、その金だか銀だか良く判らない色の髪も」
「喧嘩を売ってるのかお前」
「…なぜそうなる?」
「それをわたしが聞きたいんだ!」
 もしかしてこいつ、自分よりもひどく酔っているのだろうか。心なしか頭痛まで感じ始めた頭で、考えるだけ無駄と薄々知りつつ思う。もしこれが本当に悪酔いの結果なら、死なない程度に闇の精霊辺りをぶつけて帰りたい。
あるいはそんな笑い話で済んでくれればと、ほんの僅か、期待していたのだが。
「冗談はともかく、わたしは嘘を吐いてはいないぞ」
「…なら、勘違いじゃないのか」
「いや」
 短い否定の声と共に、無骨そのものの手が頬を撫でる。ほつれた髪を払い除ける指先に、何の嫌悪感もない己が、こわい。
「この間、お前に泣かれた時、気付いた」
 ひとときの解散を経て、かつての冒険仲間六人がオランに集結した折。とある事件に関わった――正確には関わらされ解決させられた過程で、アーチボルトは浅からぬ怪我を負った。その見舞いに訪れた際、彼の軽はずみな発言に自分がどう反応したか、思い出せないわけではない。
「どうもわたしは、お前が側に居てくれないと駄目だ。お前がわたしの隣で叱ってくれないと、いつもの調子が出ない。お前が一人で余計な心配をしていないか、気になって仕方がない。昔からお前は、自分でどんどん悩み事を大きくする性質だったから」
「…だから、お前の勘違いだ。わたしは、そんな性格ではない」
「照れるな」
「誰が、」
「では、なぜあの時お前は泣いたんだ」
 指先が、稜線に沿って頬をなぞる。まるで、今そこに流される、目には見えない涙を拭うかのように。
「…誰がどう言ったとしても、スイフリー、お前は周りの連中が思うほど冷酷でも打算的でもないだろう。誰も気にしないところで、みなが傷付かないよう気を配ってくれているだけで」
「…買いかぶりだ。実利がなければ、わたしは動かん」
「だとしても、そういうお前が好きだ」
「…悪食め」
「何でも構わん。お前が居るならそれで」
 残る片腕を戒めていた手が、ゆっくりと取り払われる。逃げられるならば逃げてみろと、そういう意図が、果たして彼にあるのかどうか。少なくとも今ならばまだ、後戻りが許されるかもしれない。
「結局は、お前次第だ。許されるのであればわたしは、唯一のものになりたいのだが」
「…そんな台詞は、十年くらい前に、別の女に言っておけば良かったんだ」
「わたしの十年前にお前は居なかった」
 するすると離れてゆく温もりが恐ろしい。完全に離れてしまえば、もうきっと、彼は自分に二度と触れはしないだろう。鈍感で、人のことなどものとも思わぬようでいて、妙なところで律儀な彼だ。拒まれてなお追いすがる執念があれば、こんなにもどかしい遣り方など、そもそも選ぶはずもない。
「…どうする?」
 囁かれた言葉に、目を閉じる。きっと自分は、今夜選ぶ道を一生悔い続けるだろう。彼が自分のもとから去って、時の流れにただひとり取り残されたその後も。判っている。彼の意志を知ってしまったからこそ、その先に待ち受ける何もかもを、判らないわけにはゆかない。どうしたって、彼に問われてしまえば、自分の選び取れる答えなどひとつしかないのだ。
 呟く。出来るなら彼の耳には届くなと、ねじくれた望みを抱いて。
「…勝手に、しろ」
 
 ――望みを聞き届けるような奇特な神など、やはり、どこにも存在しないようだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
もはやこのページはSBSさんの領域となってまいりました(笑)
期待の第三弾!
アーチボルトがついに動いたよ!
続きは裏にて!!
 
 


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