Treasure
頂きもの展示室
実は第二のメインページ。



 8    ふたつの 瑕疵 (アチスイ小説・SBSさまより)
更新日時:
2010.05.03 Mon.
 
「馬鹿じゃないのか」
 扉を開けるなり放たれた一声は、予想よりもやや辛辣だった。
 想定していたよりも数段直截な罵倒に、思わず、痒くもない頬を掻く。何気ない仕草がどんな虫の居所をつついたのか、元より穏やかとも言いがたかった表情に、ますます深い谷が刻まれた。エルフらしからぬ鋭さを湛えた瞳が、寝台から半身を起こした己の姿を、寸分の揺らぎもなく凝視している。
そんなに険悪な顔つきだと、また肌の黒い連中と間違えられるぞ。喉の入り口まで顔を出しかけた軽口を、どうにかこうにか、空っぽの胃の底まで押し込める。そういえば、昼過ぎに軽食を摂ってから、それきり何も口にしていない。癒えかけたとは言え腹の傷に障るから、と、医者が何やら説明していた気はするのだが。
「珍しく見舞いに来たかと思えば、また随分な物言いだな」
「好きで来たんじゃない」
 ぶっきらぼうな物言いで吐き捨てたまま、こちらが良いとも悪いとも言わぬうちに、手近な椅子を引き寄せて彼が座る。針金細工のような痩身を中途半端に折り曲げ、己の半身をじっと見つめる――睨み付ける、と表現した方が正しいかもしれない。いっそ穴でも開いてしまえ、と言わんばかりの剣呑さに、世間話のひとつすら迂闊に振れない。
「…わたしだって、好きで怪我をしたんじゃないぞ」
 一週間ほど前のことだ。久方ぶりに顔を揃えたかつての冒険仲間六人は、起こるべくして起きた――あるいは起こされた騒動によって、因縁深いどこぞの国の某かなる軍師が差し向けた刺客を相手にすることになった。その折、ちょっとした油断に護衛の対象が仕掛けてきた『意図的な』妨害の結果が、横腹に出来た見苦しい黒星だ。
幾つかの要因が重なったとは言え、己の不手際もあって出来てしまった傷の存在を、認めたくない心情は確かにあった。治癒の呪文で一旦は塞いでもらったとは言え、内側が癒え切らぬうちにいろいろと事後処理で走り回ったのも、自分は本調子だと己に言い聞かせたかったせいかもしれない。誤算だったのは、そんな誤魔化しが頭には影響しても、身体までは欺けなかったことだ。
「オランのお偉方と『後始末』の晩餐を散々楽しんだ末、宿に帰る道でいきなり倒れるとはな。きみ好みの女に鼻の下を伸ばしている間に、一杯盛られたのかと思ったが」
「そんなに間抜けに見えるか?わたしは」
「女でないなら学書の類だろう。きみみたいな奴のことを、世間は学者馬鹿と言うのだ」
 ひどい言いようだ。今まで口喧嘩を幾度となく繰り返してきたが、ここまで悪し様に罵られたことはそうそうない。よくよく聞けば、ご丁寧に『きみ』などと、他人行儀な呼び方まで用いている。今回は確かに無様な真似をしたが、ここまで彼を怒らせるほど、自分の行動に手落ちはあっただろうか。
「…学者何とかはさておき、たかが怪我の問題じゃないか」
 医者にも己の所持金から報酬を支払ったのだから、金銭的な負担を仲間に押し付けたわけでもない。大体、この程度の怪我など、数え切れないほど経験しているのだから。強いて不便を挙げるなら、傷のせいで数日身動きが取れないだけであって、それくらいの遅れなどどうとでも取り返せる。有り余る財力は時間こそ戻せぬものの、足早に進みゆく幾つかの物事を、少しだけ休ませておくことが可能だ。
「まあ、グイズノーのように蘇生を頼む羽目にならなかっただけ、わたしは幸運だったんだろう。神殿の連中、今度は8000ガメルでは納得しないだろうしな…」
 そうだ、どうせならこれからの分、まとめて前払いでもしておこうか。面白くもない冗談を捻り出して、ふと、放たれるべき悪態がないことに気付く。あまりにも低俗な考えに呆れたのだろうか。もしかすると、彼の頭の中で会話が打ち切られて、帰り支度の算段が始まっているのかもしれない。どちらにせよ、著しく機嫌を損ねた彼との会話は、双方にとって楽しいものにはならないだろう。さて今度はどんな罵られ方をしたものか、もはや反論すら諦めながら、彼の方に顔を向ける。
「…そんなに」
「ん」
 数日ぶりに見る彼の顔は、俯いているせいで良く捉えられない。
「そんなに、縁を切られたいか」
「…え、」
 なぜ、そうなる。問いかけてふと、細い両腕が震えているのに気付く。膝の上で握り締められた二つの拳は、見ているこちらが痛いほど、固く、固く結ばれている。白い肌に時おり弾けるかすかな珠は、どこから、滴り落ちてくるのだろうか。
「そんなにわたしを怒らせて、楽しいのかと聞いている。アーチボルト」
「怒っているのか?」
「当たり前だ!」
 滅多に聞かない彼の怒声に、思わず、まじまじと横顔を見つめた。掬い上げるように覗き込んでようやく見える表情は、いつになく烈しい怒気に満ち、普段湛えている冷静さを僅かも残さない。
…しかし、それよりも己の狼狽を誘うのは、見開かれた眼から伝うあえかな雫だ。
「馬鹿者」
 己を射るふたつの瞳から、また、声ならぬ嗚咽の証が伝い落ちる。
「お前、泣いているのか」
「…泣いてなどいない」
「いや、しかし実際に」
「お前のために、わたしが泣いてやる謂れなどない」
 わたしは泣いてなどいない。幾度も繰り返す言葉はまるで、自身に言い聞かせる呪文のようにも響いた。抑え得ぬ激情のために流される涙の一滴も、許さぬとばかりに歯を食い縛る。まるで、自らの怒りも、その理由も、何もかも否んでしまうかのように。
「…お前のような、命を粗末に扱う者のためになど、わたしは絶対に泣いてやらん」
「…さっきの冗談か?」
「あんなもの、…冗談でも何でもあるものか」
 低く籠められた声が言葉を紡ぐ間にも、絶え間なく、握られた両の手を滴りが濡らす。溢れ出る涙を拭うことすらない。見かねて差し出す布切れも、苛立たしげに片手で払われる。思い切り手の甲を叩かれなかったのは、怪我人に対するせめてもの遠慮だろうか。
「………いつでも金で命を買い戻せると思うな、馬鹿者め…」
「…なんだ、お前。何だと思ったら、そんなこと、心配してくれていたのか」
「心配などしていない」
「おや、違うのか?」
「していない!」
 再び、語調が強くなる。ぶつぶつと、とうとう独り言になり始めた彼の憎まれ口を、口を挟むこともなく聞き続ける。思えば、彼は昔から、ぎりぎりまで感情を縛り付けておく悪癖があった。結局は捌け口を求めなければどうにもならない類のものを、理性という都合のいい言葉で、塗り潰してしまおうと一人足掻いていた姿を思い出す。そして、せめてもその受け皿になろうと試みて、結局は果たせなかった己のことも。
「お前なんか、最初から嫌いだった。そうだ、嫌いだったんだ。無神経で、人のことは考えもしないで、そのくせ変に気を回してきて、わたしがどれだけ迷惑だったかお前は判らないだろう。お前となんか、出会わなければ良かったんだ。それならわたしだって、こんな下らないことで悩まずにいられた。お前が余計な気を使わなければ、わたしは、あのまま一人で居られたのに」
「…そうか」
 手を伸ばして、濡れた目元を拭ってやる。もう、彼は抵抗らしい抵抗などしなかった。ただ、僅かに身を捩りながら、しきりに己を罵るだけだ。
「済まん。わたしが、軽率だったよ」
「うるさい…」
 力なく繰り返す、その肩を抱く。沈みかけた陽の光を受けて、ほつれた薄い白金色の髪が、一瞬だけ金銀に閃いた。灯火の下でいつか見た、懐かしい色合いだった。
「…触るな」
「怪我人には、優しくするものだろう」
 穏やかならぬ単語に反応してか、一瞬だけ震えた腕を、すかさず空いた片手で掴む。指先を腹の傷に触れさせると、堪え切れなかったのだろうか、涙が一筋流れて落ちた。本当は彼だって、言われるほど不人情なわけではないのだ。ただ、したたかな世の人間ほど、感情をあらわす術に長けていないだけで。
「ほら。わたしは生きている。…一応、だが」
「………」
 声もなく傷口を辿る指先が、やがて心臓の真上に至る。鼓動を、確かめているのか。失うことを極端に恐れ、その情動すら押し隠す彼の本心を、垣間見てなおも探ろうとは思わない。命を惜しまれる程度には好意を抱かれていると、慢心したくなる己が間違っているとは思わないが。
「お前が考えているより、人間はしぶといんだ。わたしも生憎、あと数十年は死ぬ予定を入れていないしな」
「…死なれては困る。わたしだってまだ、『観察』の途中なんだ」
 胸に手を置いたまま、ぼそぼそと彼が呟く。いつぞやの話をまだ覚えていたのかと、こんな時までどうでもいい方便を持ち出してくる頭に辟易とする。最初に高額の報酬を手に入れた時だったか、二人で飲みに繰り出した次の朝、彼が言ったことだ。亜人種である自分を観察するというのなら、自分は、観察している側のお前を『観察』し返してやると。そんな昔のことを掘り返すくらいなら、素直に心配したと言えばいいものを。
「…では、死ぬ時はとりあえず、お前に許可を取ってからにしよう」
「また、そういう下らん冗談を…」
「溢れ出る知性に裏打ちされた小粋な会話じゃないか」
 言いながら、耳に届く声の柔らかさに、心のどこかで安堵する。生死の境をさまようような事態が、これで打ち止めだとは思わない。いつかまた、斬撃の痛みを忘れた頃に、新たな傷を負うこともあるだろう。そして、どうしようもない軽口を叩いて、彼の神経を逆撫ですることも。
 穿たれた傷が完全に消え去ることもない。己の負った肉体の傷も、彼の負った精神の傷も、互いの命が尽きる時までそれぞれを苛む。古傷が痛む度己は過去を思い、新たな痛手を負う度彼は未来を恐れる。
それでも。
だからこそ。
振り切ることの出来ない瑕疵を背負ったまま、歩みを止めることなく、歩いてゆく。それだけが自分達に出来る、自分達の求める、ただひとつの道と理解しているがゆえに。
「…生きろよ、アーチボルト。…出来る限り、長く」
 呟く声に答える代わりに、寄り掛かる頭をがしがしと撫でてやる。犬猫でも可愛がるような遣り口が気に食わないのか、寝衣の上から、胸に爪を立てられた。まるきり動物の仕草に苦笑しつつ、さて、何を話したものかと思案する。
 残された時の永さなど知りはしない。最果てに辿り着くまで駆け抜けるその軌跡を、ひとはいつか、とこしえへと変えるのだ。
 
 
 
 
 
 
な、なんだ、なんだこの泣きスイフリーの破壊力は…!!(笑)
再びSBSさん、ありがとうございました。
全俺が鳥肌立ちました。これはアーチーが悪いよね。うん。絶対悪い。
このアチスイ是非シリーズ化した欲しいですよね。
そう思っているのは私だけじゃないはず。


| Prev | Index | Next |


| Top | What's New | about | novel | treasure | link | mail |