1−1 「我々は実に、微妙な立場にいる」
国々は騒然としていた。
西の小さな国も、東の大きな国も、みな一様に不安に襲われていた。
その原因は、一つの噂だ。初めは他愛もない噂話と思われていた。
あまり達のよくない神官が、時たま口にする世紀末神話。古の魔物が蘇り、この世界を滅ぼすといったよくある話。
だが、その話がただの噂で終わらなかったのは、実際に予兆が示されたからに他ならない。
それは、天に現れた一筋の箒星。不吉なるさまよい星。
疫病を広めるとも、国の滅亡を示すともいうその星の出現に、人々は恐怖した。
そして、馬鹿げた噂は真実として、人々の間で囁かれるようになる。
『オランが、古代王国を滅ぼした魔物を復活させ、再び世界を争乱に陥れようとしている』
「……はァ!?」
レジィナは思わず勢いよく立ち上がっていた。がたん、と椅子が後ろに倒れるが気にしていられない。
「何、その意味わかんない噂!そんなこと、ある筈ないじゃない!」
「落ち着くにゅう、ねぇちゃん。あくまで噂にゅ」
「だが、それが真実と認められ初めているのも事実だな」
「はとこ!」
淡々と言葉を並べるエルフに、珍しく焦った顔でパラサが言う。
会議室として使われている、ストローウィック城大広間。その広い空間に、今彼らは3人だけで居る。
大陸中に広まる不穏な噂は、ここアノスにも暗い陰を落としていた。アノスはオランの隣国にして、至高神ファリスを国教とする国。元々、魔術に重きを置くオランとは、国の礎とするものが違う。敵対関係でこそ無かったが、信頼関係で結ばれているとも言い難かった両国は、現在微妙な緊張状態に有った。
「状況を説明しよう、レジィナ。我々は実に、微妙な立場にいる」
慌てるグラスランナーを完璧に黙殺した形で、エルフは話を続けた。
「知っての通り、アーチボルトは元々オランの人間だ。救国の英雄として叙勲を受けたとはいえ、所詮は異邦人。実際に両国の間に戦争が起これば、騎士剥奪とまではいかなくとも、かなり厳しい立場に追い込まれる」
「…勿論おれらも、にゅ」
「それは判ってるわよ。だけど、それがどうしたっていうの?
まだ、戦争は起こってないじゃない」
「戦は確実に起こる。もはや回避できまい」
「どうして!?」
「この茶番の仕掛け人が、あの『指し手』だからだ」
はっきりと告げられたその二つ名に、さすがの少女も息を飲んだ。
近年、招聘先のロマールから母国プリシスへと帰った『指し手』ルキアルは、彼らバブリーズとは因縁浅からぬ相手である。
初めの因縁は、かの策士の蒔いた陰謀の一つを、パーティーが踏み潰した所から。オーファンとオランの関係悪化を狙ったその策は、少女の善意とエルフの知略により、最初から無かったように消滅した。
やがてパーティーは力をつけ、金を手に入れ、成り上がる。混沌魔術師を下し、アンテッドの村を生き延び、アーチボルトがアノスの騎士になると、益々彼らは危険な存在として、策士に狙われることになった。
「覚えているだろう。先日処刑された、アノスの連続爆撃魔。そして、ダークエルフとの一件に、最近ではオランの陰謀。全て、例の策士の企みだった」
「判ってる。忘れてないよ、全部」
「結構。では、私が何を言いたいかも判るか?」
レジィナは、少し考えてから首を横に振る。わからない。戦争は避けられないと彼は言うが、本当にそうなのか?何か、自分達にできることはないのだろうか。できるなら、この際どい事態を「どうにか」する策を、知恵の回るエルフが提示してくれるといい。淡い期待を抱いてレジィナはエルフを見た。
だが、彼女の期待は大きく裏切られることとなる。
「この件に関しては、我々は積極的に関わらない」
「え、…えええええっ!?」
「『指し手』は我々を盤上に引きずり出したいのだ。
不用意に誘いに乗れば、我々は全てを失うことになるだろう。
城や金だけではない。知人や自らの命までもだ」
「でも、だからって!オランとアノスが戦争になるのを、指をくわえて見てろっていうの!?」
「人間の少女よ。お前は、人間同士の争いのために、私達にまで命を投げ出せというのか?」
「はとこ!!ちょっと言い方ってもんを考えるにゅ!」
「真実だ。今は言葉を飾っても仕方なかろう」
「……あんた、それ、本気で言ってるの?」
低い声でレジィナは問う。スイフリーは動じた様子はない。ただ、パラサだけが「はとこ!謝るにゅ!」と口早に告げた。
「そうだな、本気だ。今回の件、我々に実利はない」
「………そう」
わかった。下を向いたまま、レジィナは席を立つ。エルフから目を逸らしたまま、しかしはっきりと告げた。
「なら、私は自分で動く」
「ねーちゃん!」
「だって、黙ってなんかいられないもの!そうでしょ?
オランだよ?私達が暮らしてたあの街が、戦争に巻き込まれちゃうんだよ?
宿の親父さんや、お店のおばちゃんや、コリーンちゃんやパイロンやクナントンや、お世話になった人みんな、戦争に巻き込まれるんだよ?」
瞳に強い光を浮かべ、レジィナは拳を握る。胸の内に炎が灯るような、そんな錯覚に襲われた。自分は結局、戦士なのだ。この力のみが、自らの頼り。腕の届く範囲だけでもいい、少しでも多く、知った顔を助けたい。それが自分の素直な気持ちだと、レジィナは確信する。
「悪いけど、スイフリー。今回だけは、あんたの策に乗れないよ」
「…………」
エルフは、何の返事も寄越さなかった。ただ、目を閉じて少女の言葉を聞いている。
「…スイフリー、変わったよね。
昔のあんたなら、こんな事態、指をくわえて見てるなんて真似、絶対しなかった。
なんだかんだ言い訳しながら、きっとみんなのことを助けに行ったよ」
「…………」
「一体、いつからそんな臆病になっちゃったの?
お城を手に入れてから?お金を手に入れてから?
それとも、アーチーが騎士になってから?」
「……ねーちゃん…」
「私の知ってるスイフリーは、悪党ぶってるけど、本当は一番みんなの幸せを考えてくれる、良い奴だったよ」
「…………」
「私は、あの頃のスイフリーが好きだった」
レジィナは胸の内を吐き出すと、そのまま広間の出口に向かう。大柄ではないが、逞しいその背中を見送ってしまってから、は、とパラサが我に返った。
「はとこ、俺、ねーちゃんについてくにゅ。
あのままじゃ、一人で何するかわかんないにゅ」
「…ああ。そうしてやってくれ」
小さな声で、エルフが呟く。その丸まった背を、グラスランナーは心配そうに見た。
「……はとこ。レジィナねえちゃんの言ってたこと、…俺も、少しだけ思ったにゅ。
最近、少し、…はとこらしくないような、気もする…にゅ」
「…………」
やはり、目を閉じたまま沈黙するエルフに、パラサはため息をついた。そのまま、何も言わずに小柄な体は駈け出して行く。
あとに残されたエルフは、しばらくしてぽつりと呟いた。
「……あの男の恐ろしさを、お前達は知らない」
雰囲気的には、「デーモン・アゲイン」後のスイフリー。
あの時の「あかん、クリティカルする、私のサイコロは私を裏切るようにできている」とゆー水○さんの発言に「えええ」と思った覚えがある(笑)
無謀と慢心の精霊はどうした、スイフリー。
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