その日、いつになくエルフの里は賑わっていた。
「長老の息子が、帰って来たらしい」
村人達が、口々に噂する。それは、シルフの言葉遊びのように人へ人へと伝わって、いつしか里中の者の知るところとなった。
「親不孝者めが」
年老いたエルフは、その日大層機嫌が悪かった。それは、突然里へと戻って来た不肖の息子、…目の前の若いエルフが原因だった。
「里へも戻らずふらふらと、一体何をしていた」
「そう怒るなよ、親父殿。たった百年ぐらいで」
若い黒髪のエルフは快活に笑う。まるで、短い旅から帰ったような気安で、楽しかったよと端的に感想を述べた。
「やはり、人間の街は面白いね。色々なことが、物凄い早さで起こっては消えて行く。
村では考えられないことばかりだよ」
「それがどうした。全く、修行もそこそこに突然里を出おって。
次代の村長がそんなことでどうする」
「だから、前にも言っただろう。俺はそんなもの継ぐ気は無いって」
全く、親父殿は頭が固い。なぁ、そう思わないか?父親の苦渋などどこ吹く風で、若いエルフは窓の外のシルフに話かける。年老いたエルフは、ますます眉間の皺を深くした。
「なぁ、親父殿。その件についてはもう散々話したろ、百年前に。ここの村は好きだけど、俺はそういう役割は向いていないんだ。…見れば判るだろう?
俺は、草原の遠い親戚みたいに、ふらふらと森の外を旅するほうが性分に合ってる」
「村長は世襲するものだ」
「そんなの、古い慣習じゃないか。能力のある奴に任せるのがいいに決まってる。
俺達の代なら、誰が見たってスイザだろう」
「…ああ、確かにな。私も、スイザが息子ならどんなに良いと何度思ったことか」
「ははは」
そら、親父殿も本音が出てきた。若いエルフはからからと笑って、エルフにしては逞しい体躯を楽しげに揺すった。
「村で聞いたよ。あいつ、子供がいるんだって?
すごいな、この里に若葉出づるなんて、三百と数十年は無かったことだ」
「ああ。これでまた、森の環に新たな若木が加わったわけだ」
自身を森の一部、木々の一つとして例えるエルフ独特の言い回しで、二人のエルフは子の誕生を祝う。これからの長き時を、共に生きる者として。
「スイザは賢い。その子もきっと賢かろうね」
「ああ。…だが、少々変わっていてな」
「というと?」
「………強いていうなら、お前に似ている」
「俺に?」
「好奇心が強く、色々なことを知りたがる。森の中だけならまだしも、外の世界のことにまで。…賢いのも考えものだと、スイザも嘆いておったよ」
「そりゃあ、子供ならそういう時期もあるだろう。今、幾つだ?」
言ってから、ふと若いエルフは窓の外を見た。父親が問いに応える前に、ああ、と納得顔で呟く。
「…五十を、少し出たばかりというところか。それに、好奇心が強いというのも本当のようだ」
「なに?」
「おいで、スイザの子」
若いエルフが声をかけると、窓の外でくるくると精神の精霊が混乱気味に飛び交った。しばらくして、小さな金髪のエルフが、気まり悪げにひょこりと顔を覗かせる。眉を顰め、子供を叱ろうと口を開く父親を、若いエルフは軽くいなす。
「怒らないから、こっちへおいで。話を聞きたいのだろう」
「…………」
一瞬の逡巡のあと、子供のエルフは一端頭を引っ込め、今度は扉から頭を覗かせた。こいこい、と再び若いエルフが手招きすると、慎重に、その隣へ来て座る。まじまじと自分を見つめる小さな瞳に、若いエルフはくすくすと笑った。
「お前が噂の新緑か。…どうした、俺がそんなに珍しいか?」
「珍しい」
「はは、正直だな。名は何という?」
「スイフリー」
「スイフリー。スイザの子、スイフリーか。わかった、覚えておくよ」
「あなたは?」
「俺か?俺は、この爺様の息子。爺様と同じ名だ。ややこしいから、呼ぶ時は『おい』とか『お前』でいいよ」
「こら!お前!」
「ははっ、ほら、爺様までこう呼ぶ」
どこまでも楽しげに笑う若いエルフに、子供はいたく興味を引かれたようだった。青い瞳を好奇心に輝かせ、何を問おうか考えている。
「何が聞きたい?スイザの子。俺の知っていることなら、何でもお前に分けてやろう」
「…その、」
「ああ。……そうだな、親父殿、そういえばさっき、お袋があんたを呼んでいたよ。樫の木の広場の方だ」
「お前、」
「少しだけ。少しだけだ、いいだろう?」
渋い顔をする父親に、若いエルフは片目を瞑って見せる。何だかんだと文句をつけながらも、老いた父親が息子に甘いことを、彼はよく知っていた。
「…少しだけだ。村でただ一葉の若葉に、妙なことを吹き込みおったら、只ではおかんぞ」
「わかっているよ」
老いたエルフが家を出るのを見送ると、若いエルフは子供に向き直った。
「さて、では何から話そうか。きっとお前が聞きたいのは、森の外のことだろう?」
「うん」
「そうさな。森の外は、森の中と正反対だ。
一年一年ごとに目まぐるしく変化するし、暮らしているのもエルフ以外の種族ばかりだ」
「一年一年ごとに?」
「いや、一年どころではない。一月、いや、一日、…いや、もしかすると一時間ごとに、刻々とその姿を変える」
「一時間…?」
信じられない、というように小さなエルフは目を見開く。
「驚いたかい?でも、それも仕方のないことだ。外の世界に住む種族は、皆我々ほど長く生きないからね」
「外の世界には、何が住むの?」
「色々さ。我々の遠い遠い親戚の、草原のグラスランナーや、岩穴のドワーフ。
忌むべき黒い肌の同族に、様々な妖魔。そして、一番数が多いのは人間だ」
「人間?」
「そう。姿は我々とよく似ているが、耳は短く円い。ドワーフのように筋骨逞しいものもいれば、シルフのように軽やかなものもいる。不思議な種族だ。あれは」
若いエルフは、懐かしむように遠くを見た。外の世界で出会った様々な顔が浮かんでは消える。
「スイフリー、お前は外の世界に出たいかい?」
「………」
「そう警戒しなくていい。他のエルフには言わないよ」
「…できるなら、……行ってみたい」
「そうか。俺も、子供の頃よくそう思っていた。親父殿や、お前の父上にはよく諌められたがね」
「外の世界は、楽しい?」
「ああ、楽しいな。特に俺は、人間の街が好きだよ。人を観察していると、飽きない。本当に色々な奴らがいるからな」
「人間……」
「興味があるなら、言葉を教えてやろうか?」
「!」
「お、喰いついたな」
新しい知識への興味に、きらきらと瞳を輝かせる子供を、若いエルフは楽しげに見た。まるで、己の幼い頃を見るようだと思いながら。
「うちの爺様や、父上には話すなよ。俺の方が大目玉だ」
「うん」
「よし。ならば、まずはこれから言ってごらん。『 』」
子供のエルフには耳慣れない音が、若いエルフの唇から洩れる。
「…?」
「判らないか。『 』、これは、人の言葉でスイフリーという意味だ」
「私の、名前?」
「そう。まずは、自分の名前が名乗れなければね」
やってごらん。促されるまま、子供のエルフは音を真似ようとする。
舌を丸めてみたり、顎を突き出してみたり。
しかし、なかなか上手く音が出ない。
「…難しい」
「そうだな。我々が、普段使わない音だからな。
だが、いい線を言っている。…こうしてご覧」
ぐい、と若いエルフが自ら頬をつまんで「イ」と歯を見せる。子供のエルフも、それを真似て両頬をつまんだ。
「そのまま、舌を震わせずに、『 』」
「い、イ、『 』」
「そう、それだ。上手いじゃないか」
続けてやってご覧。若いエルフはくすくすと笑うと、今度は口を窄めてふ、と自らの前髪を揺らして見せる。そのあまりに可笑しな顔に、子供もつられてくすくすと笑った。
それから百年近くの時を経て、再びエルフの里は賑わう事となる。
「スイザの息子が、里を出るらしい」
村人達の噂を聞いて、エルフの長老は怒髪天。
とうとう銅鑼息子を勘当し、有能な若頭へ跡を譲った。
当の銅鑼息子が、しめしめとほくそ笑んだことを、知らぬまま。
スイフリーはどうやって共通語を覚えたのかなー、と。
同じ村の不良エルフに教わったりするといいと思う。
そしてちっちゃいスイフリーは金髪希望。
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