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 21    蜘蛛の糸は見えずとも (3)
更新日時:
2010.04.29 Thu.
 
その日の夜のことである。寝室に引き上げたアーチボルトは、眠れぬ夜を過ごしていた。
 やはり、何か釈然としない。
 スイフリーの話を思い出しながら、つらつらと考える。
 敵のダークエルフが笑いながら自害してみせたこと。
 その後、何故か急に意識を失ったこと。
 本人に呪いはかけられていないものの、センスマジックには反応すること。
 普通に考えただけでは、思い当たるような魔法はない。だが、何もされていないわけではない、らしい。
 今判るのはそれぐらいのものだ。対抗策も立てようがない。それがまた、彼の苛々を増長させる。
 とりあえず、スイフリーに何かあった時に備え、アーチボルトは隣の部屋で休むことにした。
 何かあったらすぐ呼ぶようにと言って別れてから、もう大分たっている。
 
「…いかんな」
 
 休める時には休んでおかなければならない。アーチボルトは無理矢理にシーツを引き上げ、目を閉じた。
 
 
 
それからどれほど経っただろう。
 ようやくうつらうつらとまどろみかけていたアーチボルトは、何かの気配に目を覚ました。反射的に枕元の愛剣を掴み、自然と臨戦態勢を取る様はさすがにアノスの騎士といった所だが、生憎愛用の水玉の夜着の所為で雰囲気台無しである。無論、本人は気づいていないが。
 
「誰だ?」
 
「わたしだ」
 
涼やかな声が、扉の向こうから聞こえてくる。なんだ、とアーチボルトは剣を下げた。
 
「スイフリーか。どうした、何かあったか?」
 
「眠れないんだ」
 
その意外な返答に、一瞬沈黙する。
 あの、白いダークエルフだとか、策謀マニアとか、言葉の魔術師だとか言われる、彼が。
 夜、一人じゃ眠れないとか。
 …やはり、何か呪いでもかけられたんじゃなかろーかと、素直に心配になった。
 
「取りあえず、入れ」
 
扉を開けると、見慣れた絹の夜着の男が、青白い顔で立っていた。
 いつもに比べると、やはり精彩を欠くようだ。それも仕方ないだろう、彼は過去にも暗黒司祭から死に際の呪いをかけられたことがある。しかも、そのせいでかなり嫌な思いもしているのだ。
 アーチボルトは相手を適当に座らせると、酒の瓶と杯を二つ掴んで戻った。彼の持ち物には珍しく、あまり値の張らない普通の銘柄の酒。だが、蓋を開けた途端に懐かしい香りが立ち上り、アーチボルトは目を細めた。まだ、故郷で仕事をしていた頃、よく皆で飲んだ酒なのだった。
 
「ほら、飲め」
 
勧めると、相手は素直に杯を受け取った。これも珍しい。エルフはあまり酒に強くない。スイフリーも全く飲めないわけではないが、酒場では弱い酒をちびりちびりとやる程度だ。こんな時に酒なんて、と渋るかと思ったが、本当に弱っているのかもしれないな、とアーチボルトは唇を引き締めた。
 
「どうした。珍しいじゃないか、お前が黙っているなんて」
 
スイフリーは俯いたまま黙っている。その顔色を窺いながら、頭の中で言葉を選ぶ。
 
「何かあったか、スイフリー」
 
「…夢を見るんだ」
 
「え?」
 
「何てことはない悪夢だ。ただ、何か恐ろしいものに、襲われる夢」
 
 ぽつりぽつりと、エルフは語った。
 
「その夢の恐ろしいところは、わたし一人しかいないことだ。仲間がいない。
 君達がいない。わたしは、一人で戦わなければならない…」
 
アーチボルトは何と言っていいか判らずに、視線を杯の中へ落とした。窓の外の月明かりに、琥珀色の液体がゆらゆらと揺れている。
 
「一人ではだめなのだ。わたしは、一人では何もできないから。
一人は怖い。仲間を失うのが怖い」
 
「スイフリー」
 
「怖いんだ、わたしは、…大切なものを、失うのが」
 
淡々と語られる告白に、アーチボルトは困惑していた。これほど、彼が正直に自らの心中を吐露するところなど、見たことがなかった。彼の心は、そんなにも動揺しているのだろうか。
 
「スイフリー、…安心しろ。私がいる。そう簡単に殺されたりすると思うか、このアーチボルトが。
 奴らにしたって、そうだろう?見てみろ、あいつらのふてぶてしい顔。
 フィリスなぞ、一体いつまで若い気でいるのやら」
 
本人に聞かれたらファイヤーボールでは済まされない発言である。しかし、今は仕方ないのだと心中で言い訳しつつ、アーチボルトは相手を励ますように背を撫でてやった。
 
「しっかりしろ。私にできることがあれば、何でもしてやるから」
 
「…本当に?」
 
「ああ。大切な仲間の頼みだからな」
 
やっと、相手が顔を挙げる。どうやら上手く宥められたようだと、アーチボルトはすっかり油断していた。
 
「じゃあ、慰めて欲しい。君で」
 
「え?」
 
止める間も無かった。細い腕に頭を抱かれたかと思うと、唇に柔らかい感触が落ちた。
 思わず目を瞑ってしまって、顔が見えなかったのは幸いなのか、どうなのか。
 
「ん、…」
 
「うっ」
 
ねとり、と舌が口内に入って来るに至って、アーチボルトは慌てだした。
 いや、まずい。何がまずいって、あまり違和感を感じていない己が。
 普通、こういうのには嫌悪感を覚えたってよさそうなものなのに、柔らかな舌に絡みつかれ、口蓋をぞろりと舐められると、何かまずいものが背筋を這い上がってくるのが判る。
 大変まずい。このまま続けられて、これを育て上げられたら隠しようがない。
 
「っ、スイフリー!」
 
息継ぎを狙ってやっと顔を逸らし、力づくで身を離す。気が付くと、寝台の上で相手に乗りかかられているという、誰かに見られたら言い訳のしようのない格好になっている己がいた。これでは、助けを呼ぼうにも呼べない。
 
「お、落ち着け。一体、どうしたんだ」
 
「寂しいんだ」
 
薄闇の中、寂光を湛えた瞳が見下ろしてくると、アーチボルトは何も言えなくなった。
 こんな目をした相手は、見たことがない。彼は策士だ。策謀の友だ。無感情な男ではないが、こんな風に自ら弱みを曝して、誰かに身を寄せる様など想像したこともなかった。
 
「わたしは、寂しい。いずれ、わたしは一人になるだろう。
 わたしの中に流れる時間は、君達とは違う」
 
滑らかな指先が、頬を撫でて行く。ほの青い光の中で、エルフの友はまるで本物の精霊か何かのように見えた。
 
「戦いで君達を失わずとも、時は確実に君達を奪う。
 そしてそれには、策の講じようがない」
 
わたしはそれが怖いのだ、と。初めて聞くエルフとしての苦悩に、アーチボルトははっきりと息を飲んだ。
 そんな思いがこの男の中にあるなど、思ってもいなかった。
 だって、この男は。
 皮肉屋で、
 疑り深く、
 策略家で、
 臆病なほどに慎重、
 そして、本当は情に篤い。
 自分の異種族嫌いを、改めさせるきっかけにもなった、特別な、
 
…特別な?
 
(…まずい…)
 
一瞬、己の中に芽生えかけたそれに、恐怖を覚える。明らかに、それは道ならぬ類の感情だと判った。
 
 
 
 
 
アーチー誘惑されるの巻。
 


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