薄闇の中、抱きしめたままで、相手の輪郭を撫でる。しなやかな背中、細い首筋、後頭部、長い耳。巧みな愛撫とは程遠いそれに、しかし抱いた体はふるりと震える。
「まだ、慣れないのか」
薄い耳殻の裏を撫でながら囁けば、掠れた声で返事が返る。たのむから、と震える語尾は、迷い子のように所在なさげだ。
「…灯りを消してくれ」
壁際の仄かな灯火が、ゆらゆらと、金の髪の中で揺れている。顔は見えない。伏せられたそれの代わりに、白く美しい項が目の前に晒されている。
「また、私にだけ見せないつもりか」
差し出されたそれに舌を這わせれば、ぎくりと背を強張らせる。森の暗い夜の中に暮らした彼は、闇を見通す瞳を持っている。
「狡いな」
「…頼むよ、私は、もうこうしているだけで限界だ」
恥ずかしい。服も脱がぬ内から、彼はまるで生娘のようなことを言い出す。
「駄目だな」
「…アーチボルト、…後生だから。…許してくれ…」
返答はない。無慈悲を示す言葉の代わりに、ぬるりと舌先が耳朶を這う。人の街に出たばかりの頃、戯れに開けた耳飾りのための穴を、誰が愛撫のために用いると思っただろうか。薄い皮膚に軽く歯を立てられ、熱い吐息を、欲情した荒い息遣いを聞かされる。それだけで情けないほどに膝は震え、奥底に燻る熱が滲んで、じわりじわり、波のように全身へと広がってゆく。
「…どうしても、灯りは嫌か」
「…出来るなら…」
囁きかけられた問いに、やっとのことで頷き返す。本当はもう、このまま立っていることすら限界に近い。そうは言ったとて、素直に彼が聞き入れてくれるはずはないだろうと、諦めてはいたのだが。
「分かった」
今夜は、お前の望み通りにしよう。常日頃からは考えられぬ気安さで、あっさりと彼は退いてみせた。
「その代わり、私からも、ひとつ条件を出そう。それを聞いてくれるのなら、灯りは消してもいい」
「…どういった条件だ?」
「それは、あちらに行ってから教えることにしよう」
嫌に、勿体ぶった言い方をする。彼がこういう手段に出る時は、たいてい、良からぬことを考えているものだ。…解っているのについ頷いてしまった己は、単に浅慮なのか、はたまた既に魅入られていたのか。壁に掛かった蝋燭を取り、寝台へと腰掛ける。寝返りを打つ程度には広いといえど、やはり、男二人が身を詰めるには少々狭い。
「…ほら」
消せ、と。鼻先に差し出された蝋燭の火を、ふ、と一息に吹き消す。乏しい灯りが失せ、薄墨を流したような闇の中に、ゆらゆらと煙が帯を引く。ろくに身動ぎもならぬ己の腰を、彼の手が、軽く抱き寄せた。
「では、私の条件も呑んでもらおうか」
何気ない口調。微かに灯る情欲の色は、紛れもなく、己に向けられたもので。
「…まずは、私の服を脱がしてもらおうか。但し――両手は、使わずに」
「……え?」
戸惑いを滲ませた声で、傍らの気配が問い返す。落ち着かなげに瞬きを繰り返す様子が、目に浮かぶようだ。
「いつもは、私が脱がせてばかりだからな」
たまには、逆もいいだろう?唾液に濡れたままの耳元に囁けば、ますます身を固くして、動けなくなる彼がいる。
「…手を使わずになど、できるものか」
「何故?ここを使えばいいだろう」
手探りに、指の腹で唇を撫でてやれば、息を飲む気配と共に、「変態!」と容赦のない非難が返ってきた。
「…本当に人間は非常識だよ。一体、何を考えているんだ」
顔が見れないのが残念だった。きっと、エルフの頬は見事な朱に染まっているに違いない。その意趣返しの意味も込め、アーチボルトはさらに相手の赤面を煽る。
「まあ、全部を脱がせとは言わないさ。時間もかかるしな。…ただ、必要なところだけ、脱がせてくれれば良い」
「…………ば、馬鹿!変態!色狂い!」
どうやら、賢いエルフは正確にこちらの意図を理解したらしく、逃げを打とうと暴れ始める。だが無論、それぐらいで逃がしてやる気は毛頭無い。
「…お前、約束を違える気か?」
途端に、ぐ、と息を呑む気配がして、突っ張った手足から力が抜けた。
「…ち、違う。わたしは、その…そういう、ふしだらな行為をするのは、…約定を破るというわけでは…」
「ふしだら、か。私がお前に頼んだのは、た
だ単に服を脱ぐのを手伝ってもらうだけの行為だぞ。それが、お前にとっては淫らな所業に当たるのか?」
「…いや、」
「では、問題なかろう?」
やはり、ろくなことを考えてはいなかった。くつくつと耳元で笑う声はさも愉快げで、こちらが歯噛みすればするほど、戸惑えば戸惑うほど喜んでいるように聞こえる。全く、この男ときたら、何と性根の曲がった人間だろう。あながち人のことは言えぬ性格ながら、心の内で、ひっそりと悪態を吐く。
「嫌なら、灯りを点けても構わないが?」
「…うるさい、けだもの。少し黙れ」
からかうような物言いに、短く言い捨て腰を上げる。要は、手っ取り早く終わらせればいいのだ。どうせ彼には見えない、闇の中での行為なのだから。己に課せられた条件はあくまでも服を脱がしてやることであって、それ以上のことを果たす義務などない。
「どうせ見えないのなら、…星でも見ていろ。呑気なお前にはお似合いだ」
せめても、と呟く悪罵も、きっと彼には届くまい。込み上げる羞恥を必死に堪えつつ、跪き、鍛えられた両腿を挟むように腕を置く。唇に触れる布の感触は存外に堅い。まずは腰布の端を銜え、そろそろと結び目をほどいてゆく。
おっかなびっくり、そろそろと腰布を引き抜こうとしている。こちらが身じろぎすれば動きを止め、吐息の一つ一つに可笑しいほど震えてみせる。まだ、それほどからかってはいないつもりなのだが。過剰なほど潔癖に、けれど律儀に約束を果たそうとする彼のせいで、真顔を保つのが苦しい。
「…う、…」
ずるり、と腰回りから布が抜き取られる。どうにか始めの仕事をやり遂げた彼は、その勢いのまま次に取りかかろうとして、急に動きを止める。
「どうした?」
理由を知りながら、焦燥を煽るように問いかけた。これ以上先の作業は、もっと顔を近づけなければ続けられない。男の下半身に顔を埋め、肌を露出させてゆく行為に、今更ながら羞恥を覚えたのだろうか。
「スイフリー。灯りをつけるか?」
「…お前は黙っていろっ」
自棄になったように、鼻先を臍の下に埋めたエルフが、かちりと下衣の金具を噛んだ。
「…ん、く、…ん…」
かちかちと、銜えた金具が擦れ合う。耳障りな金属の音はまるで行為を急くようだ。闇雲に動かすだけでは足りぬと知りつつも、焦燥に、つい狙いが狂う。
「ん、ふ、…は、」
「随分、艶かしい声を出すものだな」
笑いを噛み殺しているのだろうか。平坦な調子に聞こえる声は、良く聞けばわずかに震えている。こんな真似をさせたのは、他ならぬ彼であろうに。
「…うるさいんだ、お前は…さっきから」
歯を立てた銀色の爪を、鞘から抜き外し、息を吐く。散々舌先で嬲られた耳の裏を、汗の滴がのろのろと這い落ちてゆく。回りくどい作業にも程がある。両手を使えるのであれば、こんな馬鹿げた苦労をすることもないだろうに。
「見辛いなら、明るくしてやろうか」
「結構だ」
親切めかした言葉が、無性に鬱陶しい。腹立ち混じりに吐き捨てて、下履きの布を唇で食む。どうにか丈は合うと言えども、彼の体格に比べて、決してゆとりのある仕立てではない。ふつふつと額に浮く汗も垂れ落ちるままに任せ、少しずつ、布地を引きずり下ろしては息をつく。湿り気を帯びた髪が首筋にひたりと張り付いて、どうにも、焦れったい。
汗に張り付いた髪を払ってやれば、触るな、とくぐもった拒絶が返る。適当なところで降参すれば許してやるものを、彼は意地を張ったまま、白旗を振ろうとしない。
「く、っ」
無理に引っ張られた亜麻の生地が、きちきちと悲鳴を上げる。破れるぞ、と一応警告してみるが、そんな言葉など聞こえぬとばかり、お構いなしに引き下げる。そしてついに、十分に寛げ終わったとみるや、ほう、と暗闇の中で安堵の溜め息が零れた。
「終わったぞ」
これ以上は、お前が座ったままでは続けられない。それでも半ばまで脱がせたのだから、十分だろう。どこか勝ち誇ったように言う彼に、アーチボルトは暗闇の中でにやりと笑ってやる。
「そうだな。あと1枚で終いだ」
「へ?」
頓狂な声がするあたり、柔らかな髪を撫でてやりながら、厳かに告げる。
「まだ、下着が残ってるぞ」
「…冗談だろう」
「残念ながら、私は至って真面目だ」
両手を禁じられ、苦労して寛げた衣服を、邪魔そうに脱ぎ捨てながら彼が言う。それでも用済みの布をきちんと畳む辺り、妙なところで几帳面だ。
「なに、あと一枚じゃないか。さっさとやればすぐに終わるだろう、問題ない」
「ないわけあるか!」
「おや。何か支障があるとでも?」
自分が何を要求しているのか、果たして彼は理解しているのだろうか。きっと、しているのだろう。そうでなければ、こんな闇の中、清々しいほどの笑みを浮かべているはずもない。
「…いいか、まだ百歩譲って、衣服のことは良しとしよう。だが、…その…し、下着は、無理だ。そんな、…そんなはしたない真似をするのは、わたしには…」
「何が、どう、はしたないのだ。出来れば私にも理解できるように、具体的に教えてくれないか」
「…言えるものか、そんなこと!」
想像すらしたくもないそれを、まして口に出せるはずもない。何が悲しくて同性の局部に顔を埋め、生々しい部分まで目の当たりにしなければならないのか。
「…せめて、手を使わせてくれ。それなら、どうにか…耐えられなくもない」
折れようか折れまいか一瞬だけ迷った。
「…まあ、いいだろう」
あまり条件を厳しくして、途中で止められても面白くない。障害は易し過ぎず厳し過ぎず。無理をすれば超えられる、ぐらいが丁度良い。そんなアーチボルトの内心も知らず、相手は明らかにほっとした様子でため息をつく。
「本当に、これで終わりだからな」
「ああ、勿論」
笑みを浮かべたまま、そう返してやる。闇越しにうっすらと見える輪郭が、訝しげに歪んだ気がした。
「じゃあ、…脱がせてくれ」
屈んだままの相手の前に、立ちふさがる。灯りの下では心許ない下着一枚の姿も、暗闇の中では気にならない。闇を見通せぬ、人間には。
「……っ!?」
腰下ではっきりと息を呑む音が聞こえて、再び闇の中に沈黙が落ちた。
眼前に突き付けられた異様に、声もなく座り込む。寄らば見よとばかりに立ち上がった、彼の胯間に屹立する影。布一枚を隔ててもくっきりと知れる隆起は、思わず直視を躊躇うほどに猛々しい。例え種族の違いがあるとは言えど、彼のそれは明らかに規格外ではなかろうか。垣間見るヒトの殖え栄えの証は、最早それだけで個の生物めいて、帯びた劣情をつまびらかに語る。
「どうした、スイフリー」
「…何だ、それは」
「何だ、と聞かれてもな。お前だって、まんざら知らないものでもあるまい」
薄闇に見上げる屈強な体躯は、良く良く見れば心なしか自慢げにも映る。そんな誇り方をして何が楽しいのだろう、この男は。
「知らん、そんなものは。…やめろ近付けるな、汚らわしい!」
「つれないことを言う」
踏み出される一歩に慌てて身を退ける。悠然と腕組みのまま見下ろす男の眼は、闇を見通せぬくせに、獣の如く爛々と滾っている。
「さ、早いところ済ませてくれ。こんなところで時間を費やすこともなかろう」
脱がす時は、目を閉じずにな。添えられた最後の一言が、わずかな可能性すらも奪い去る。
この時ばかりは、灯りの無いのが残念だった。床に座り込み、眼前に男のものを突き付けられた彼は、さぞや困った顔をしていることだろう。
「……、……」
恐る恐る、両股に柔らかな指先が触れる。決して布以外には手を触れぬよう、細心の注意を払っているのだろう、まるで腫れ物に触るように、ゆっくりと布が下ろされて行く。
「目を、瞑るなよ」
低く囁くだけで、一時彼の手が止まる。本当に目を瞑ろうとしていたのかもしれない。そうでないかもしれない。ことの真偽は問題でなく、ようは牽制なのだった。一枚の布を僅かばかりずらすのに、かなりの時間が過ぎる。
「……っ、…」
先ほどから、彼は屹立したものから布を外すことができず、固まっている。半端に布を脱がされたせいで、こちらは少々寒い。
「スイフリー」
組んでいた腕を解き、できるだけ優しく名を呼びながら、頭を撫でてやる。そろそろ、助け船を出してやってもいいだろう。アーチボルトは、固まったままの相手に告げる。
「降参するか?」
途端、怒りを滲ませた声が闇を切り裂く。
「誰がするか!」
ここまで恥辱を味わわせておいて、今更何を言い出したものか。折角の妥協点だろうにとでも言いたげな男を、抗議の意も込めて睨み返す。どうせこの暗さでは見えもすまいが、そうしなければ、どうにも己の気が収まらない。
「…何が降参だ、馬鹿馬鹿しい。…本当に品性のない人間だよ、お前は」
「では、その品性のない人間に付き合うお前は、どうなんだ」
「うるさい」
内腿らしき部分に軽く爪を立てる。痛いぞ、と非難の声を聞いたような気もするが、知ったことではない。下着の上端に両手を掛け、出来る限り視線を外しながら、ゆるゆると布を引き下げてゆく。見るのが躊躇われるようなものならば、最初から見なければ別段問題はないのだ。薄目とはいえ完全に目を閉じているわけでもないから、約定を違えたことにもならない。
「……………」
どれくらいの時が流れたのか。己にとっては一刻にも一日にも思えるほどの空白の後、ぱさり、と乾いた音がした。恐々と視線を戻せば確かに彼の足元、下ろしきった腕と共に、指を掛けていたはずの布がある。
「…ど、どうだ」
方法はともかく、約束を守ったことに変わりはない。未だ床から目を離せぬものの、問いかけるだけは問いかけてみる。
何もそこまで意地を張らなくても、という感想は飲み込んで、アーチボルトは降参、というように両手を上げた。
「…それじゃあ、賭はお前の勝ちということで。さて、これでやっと次に行けるな」
「つ、次だと?」
慌てた声を上げるエルフの顎を掴み、アーチボルトは平然と続ける。
「スイフリー、今日こそは新しい技法を覚えて貰うぞ」
そのまま、ぐ、と顔を股間に近づけようとすれば、失礼にも恐怖に引きつった悲鳴が上がる。
「い、いやだ!…口、口で慰めるなんて、そんなおぞましい真似、できるか!」
「…森ではおぞましい真似かもしらんがな、人間の間ではそれなりに一般的だぞ」
「嘘だっ、詐欺だペテンだ!私がエルフだと思って、騙そうとしてるだろう、お前!」
相手は取り付くしまも無く逃れようと首を振る。過去、何度か説得を試みた時と全く同じ反応に、ため息をつきたくなる。文化的な背景の違いは、こういう場にも影響するらしい。
「…仕方ない。なら、お前は無理にしなくても良い」
顎から手を離し、アーチボルトは相手の手を引く。
「私が手本を見せてやろう」
|