1−5 「…デイルさんが猫で、本当に良かったと思います」
「いかがですか?」
注いでやったミルクに、ぶち猫が夢中で舌鼓みを打っている。そのふわふわとした白と黒の毛皮を撫でながら、クレアは少しだけ唇を歪めた。
「ぶにゃん」
ひげの周りを濡らしたまま、礼を言うようにぶち猫が鳴く。彼の主人の話によると、彼の知能は人間並みにあるそうだから、本当に「ありがとう」と言っているのかもしれない。とりあえず、どういたしまして、と返しておく。相手が人と同じ意思を持つ生き物なら、きっと差別するのは良くないだろう。…相手が邪悪でない、という条件付きでだが。
フィリスがオランに旅立ってから数日が過ぎた。徒歩でいけばそれなりに日数のかかる距離も、彼女の得意とする古代語魔法を持ってすれば一瞬である。予定では、彼女の帰還は本日夕刻。つまり、クレアが頼まれたこの使い魔の世話も、あと少しでお役御免というわけだ。ここ数日ですっかり彼と打ち解けたクレアは、せめてもの餞別とばかりに、新鮮なミルクと感謝の言葉を贈る。
「あなたのおかげで、助かりました。…何せ、彼はあの通りですから」
「にゃん」
「ここ数日、まともに部屋から出て来ませんし、食事を取るよう言っても聞きませんし、…心配するだけ馬鹿をみているような気さえして」
「にゃぅ、」
「ええ、そうですね。この城のせいもあるかもしれませんね。確かに、ここは一人でいるには広すぎる。留守を守る期間が長いと、さすがに気が滅入ります」
「なう」
相槌を打つように鳴きながら、つぶらな茶色の瞳がこちらを見上げてくる。人によっては不細工と言うかもしれない円い顔も、なかなか愛きょうがあって可愛らしいと思う。
「…あなたは素直でいい子ですね。フィリスさんが羨ましい。
私はもっと、厄介な猫を飼っている気分です」
「あはは、それって、耳の尖がった猫のこと?」
「えっ」
気が付くと、厨房の入り口に件の女魔術師が来て笑っていた。いつから、と言いかけて、この猫が彼女の使い魔であったことを思い出す。
「ごめんね、盗み聞きしてたわけじゃないんだけど、聞こえちゃった。城の中では、デイルの聞いたことは、みんな私にも聞こえちゃうから」
「いえ、いいんです。お帰りなさい」
「ただいま」
ああ、疲れた、と言うなり彼女は手近な椅子を引き寄せて座る。クレアは、彼女の分の茶を入れるために立ちあがった。
「あ、いいわよ、気を使わないで。……ねぇねぇ、それより、さっきの話、本当?」
「さっきの話?」
「スイフリーのこと。部屋から出てこないって?」
「…ええ」
沸かしておいた湯をポットに注ぎながら、クレアは眉を曇らせる。
「ここのところ籠りきりで。時折、人がやってきて、届け物をしたり、部屋で話しこんだりはするのですが。食事や睡眠にはいつも以上に無頓着のようです」
「…全く、あいつも馬鹿ねぇ。あなたにまで心配かけるなんて」
「仕方ありません。…今回は、それだけ大事なのでしょう」
城主である彼らの微妙な立場は、クレアも承知している。そして、現在の危うい両国の緊張関係のことも。
「大丈夫よ、心配しないで。どうにかなるわ、私達も、この城も。そのために今、みんな走り回ってるんだから」
「…ええ」
「ああ、それより聞いてよ!父さんったら、やっぱりギリギリまでオランに留まるつもりらしいの。全く呆れてものも言えないわ。ほんとあの頑固親父」
フィリスは唇を尖らせる。謹厳な父親の圧迫に堪えかねて家を出たという彼女は、それでも忠言に行くあたり、やはり思いやりがあるのだろう。悪態をつきながらも、全く心配かけさせて、と言葉を締めくくる彼女に、クレアはふと微笑んだ。
「お父上のことが、心配なのですね」
「…まさか!誰があんな偏屈のことなんか。
私が心配してるのは、お母さんと、…そう、ケインのことよ」
「ケイン?」
「父の使い魔の名前。もう10歳になるの」
「10歳?それは、大分お年寄りの猫なのですね」
「…ああ、違うわ。ケインは猫じゃないの」
フィリスは苦笑しながら、温かいカップを受け取った。
「ケインはね、…ウシガエル」
「う、ウシガエル!?」
「そう。変に思うかもしれないけど、カエルとかヘビを使い魔にする魔術師、多いのよ。
可愛いって」
「か、可愛い……?」
「まぁ、判らなくはないけどね。夏でもひんやりしてるし。つぶらな瞳だし」
「………………」
やはり、魔術師とは判りあえない気がする。冷めたお茶に口をつけながら、ぼんやりとクレアは思った。
「まぁ、私の場合、さすがにヘビやカエルだと連れ歩くの大変だから、猫にしたんだけどね。…ねぇ、デイル?」
「うにゃん」
「…デイルさんが猫で、本当に良かったと思います」
「あはは。まぁ、女の子なんかは、やっぱり猫や鳥を使い魔にする人が多いわね。
私の友達にも、カラスを使い魔にしてる子なんかいて、……」
そこで突然、言葉が途切れる。急に黙ってしまったフィリスに、クレアは首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「…ううん。ちょっと、ヤなこと思い出しちゃってね」
フィリスは脚を組み直すと、「言ってもいいかな?」と少し困ったような顔で告げる。クレアは、先を促した。胸に溜めておくよりも、吐き出してしまった方が良いこともある。
「どうなされたのです?」
「それがね。実家で、昔世話になった先生の訃報を聞いたの」
「…そう、でしたか」
「その先生の使い魔は、それはそれは綺麗な青い鳥でね。有名だったのよ」
ふぅ、とため息をつき、フィリスは傍らの使い魔を撫でる。あの子はどうしたのかしらね、と呟く彼女は、亡き人の身内を思いやるのと同じ気持ちなのだろう。彼ら魔術師にとって、使い魔というのはそれほど特別なものなのか。魔術師でないクレアには、やはりよく判らない。ただ、もしもこのぶち猫が、女魔術師の傍らから居なくなったら、自分も寂しさを感じると思う。
「もし、主人が先に死んでしまったら、使い魔はどうするのですか?」
「その弟子が引き継いだり、魔法を解いてただの動物に戻してやったり…色々よ。
彼ら自身に意向を聞いて、なるべく希望に沿うようにしてやるの。お疲れ様、ってね」
「なるほど。やはり、使い魔というのは、ただのペットとは違うのですね」
「そうね。相棒、っていうか…もう一人の自分、みたいなものよ。
どちらかが先に死んでしまったら、悲しいわ。主人を殺された使い魔が、相手に復讐したって話もあるくらい」
お互いに、通じ合っているから。呟くフィリスに、傍らの猫が顔を上げる。少し首を傾け、どうかしたのかと窺うようなその顔に、何となく、クレアも悟る。主人を見る猫の目は、やはり、自分の雑談に耳を傾けていた時のものとは違う。
…少し、羨ましいかもしれない。
「良いですね。…人と人の間でも、なかなかそんなに信頼し合うことはできない」
「ふふ。人とエルフの間でも、ね」
「………」
「ああ、ごめんね、そんな顔をしないで。…大丈夫よ、ちょっと私、これからアイツに話があるの。ついでに引っ張り出してきてやるわ、食事ぐらいとりなさい、ってね」
残りのお茶を一息に飲み干すと、ごちそうさま、とフィリスは立ちあがる。そんな主人の後ろに、ぶち猫は当然のように付き従う。「お願いします」とクレアは、小さく頭を下げた。
「まかせて」
「なーう」
こうして、頼もしい魔術師とその従者は、森の砦ならぬエルフの書斎へと向かう。
確か、リプレイではフィリス父の使い魔のことまで言及されてなかったはずなので、カエルということに。
父はきっとケインくんを溺愛している。
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